第二十四日 6月27日 ソレントから電車でエルコラーノまで。エルコラーノからチャリでナポリ市内へ。
朝起きたら、ソレントの空に黒い雲がかかっている。急いで移動を開始しようと、朝食を食べてすぐ出発。幸い駅に着く頃には黒い雲は消えていた。そこから電車でエルコラーノまで移動。この電車は昨日も混んでいたが、今日も椅子が埋まり、立っている人も少なくない。チャリを車掌さんの指示で出入り口の脇の手すりにくくりつけてうまくおさまってくれたので、昨日のような気の使い方をしなくて済むので助かった。
エルコラーノで昨日のポンペイに続いて遺跡を見て回る。ここではバックパックを預かってくれたのでこれも助かる。炎天下、背中に重荷を背負って移動するのはかなり過酷なので、こういうシステムがあることはいい。
遺跡としてもポンペイよりも制限区域が少ないので、いろいろの所を見て歩けるので、こちらの方が当時に思いを馳せるにはいいかもしれない。中には当時の壁画でかなりよく残っているものもあった。ただ生活の痕跡を色濃く残した遺跡はここではないようだ。
エルコラーノからナポリまでは10キロ弱だからたいした距離ではないのだが、目地が埋められていないピンコロ石を張り詰めた道路に悩まされる。自転車のわっぱをとられないように注意深く先を見ながら走るのだが、間断なくクラクションを鳴らしてくるクルマも意識し、道路のくぼみやLRTの線路にタイヤを挟まないようにとかあれこれ注意事項ばかりがあって気が緩められない。ピンコロ石張りの道から解放されたのはナポリ市内の僅かな区間だけで、8割から9割は振動がハンドルを通して手に来る石畳の道であった。クルマにとっては石畳なんて平気なのだが、自転車には難敵であった。
今の街よりも大分低いレベルにあります |
古代の道はポンペイと同じ? |
構造物としての存在感がある |
エルコラーノからナポリまでは10キロ弱だからたいした距離ではないのだが、目地が埋められていないピンコロ石を張り詰めた道路に悩まされる。自転車のわっぱをとられないように注意深く先を見ながら走るのだが、間断なくクラクションを鳴らしてくるクルマも意識し、道路のくぼみやLRTの線路にタイヤを挟まないようにとかあれこれ注意事項ばかりがあって気が緩められない。ピンコロ石張りの道から解放されたのはナポリ市内の僅かな区間だけで、8割から9割は振動がハンドルを通して手に来る石畳の道であった。クルマにとっては石畳なんて平気なのだが、自転車には難敵であった。
ナポリは今はちょっと割り込んでいるようだが、100万都市だけに街も大きいし、人も多い。南の都市の中でも活気が違う感じだ。食い物の事情などもいいが、どういうわけが本場であるはずのピッツァリアに出会わない。できたものを売っているのでなく、注文を聞いてから生地をつくって具を盛り込み焼くところまで一気にやる店がいいのだが、そういう店がここトレド通りという繁華街を半径500メートルくらいの範囲で探してもないのだ。生地が薄くて1分足らずで焼き上がるピザが一番美味いと思うのだが、なかなかむずかしい。
そして街並みというか、ナポリといえば狭い道の両側に7,8階建ての集合住宅が建ち並び、そこから洗濯物が翻っている景色がなじみ深いが、確かにトレド通りを山側に折れるとどの道もそういうナポリの名物景色がそこにあった。街並み的な評価はおいておくとして。
山側の街並み |
国旗はWカップ対応 |
本日の鉄道移動距離 20キロ
<本日のホテル>
ナポリ
Hotel Principe Napolitano
49ユーロ
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