本日(5月26日)は水平線上に雲が低く湧いているくらいで、見事な地中海晴れ。
午前九時過ぎにスポトルノのホテルを出発。今日は雨は無しとして、ジェノバまで60キロ余をチャリユキとともに行くつもり。海岸線に沿ったSS1を使うのだが、もっと海側に別な道路があるとそちらに行くこともある。自転車専用道はあるが距離は10キロはない。今日はともかくレーパン、ジャージにヘルメットでかためたローディの姿がやたら目に入る。チームタイムトライアルみたいに団体で駆け抜けていく連中もいる。なるほど、今日は日曜日なのでクラブとか仲間でひとっ走りすっか、という乗りで来る連中である。
颯爽と走るローディたち |
この人たちは大体平均年齢が45前後か。中に60歳をゆうに超えていそうな御仁もいるが、編隊で走ってもちぎれない脚力を持っている。2008年にエタップ・ド・ツールというその年にツールドフランスで本当に走る山岳コースの一番過酷ステージを、本番の1週間前に走らせようというレースに、無謀にも参加した街並みハンターはフランスとスペインの国境に近いピレネーまで出かけていって、最初の峠道を越え、これから二つ目(全部で5つくらいカテゴリーがついた山道がある)というところで制限時間オーバーでバスに収容されるという屈辱を味わったのであるが、年齢別で50代以上でも二桁の順位で走り抜ける猛者がいるのだ。8千人集まる参加者の内、8割以上は完走する。因みに元F1レーサーの片山右京は40歳代で全体の100番台ぐらいで走ったというからアマチュアとしては上出来。それはさておき、ここを走っている人は平らなところで35キロから40キロくらいで走り、上りの坂でも25キロくらいで上がっていく。ほとんどプロのツールの選手のような人たちなのだ。こういう人々とひっきりなしにすれ違うし、こちとらをあっという間に抜いていく。恐ろしい人たちなのだ。おそらくこのうちの半分くらいは今年のエタップドツールにも現れそうである。
サボナは人口6万人程度の中都市であるが、鉄鋼業などの産業があり、リゾートばかりではない。
この写真はサボナの街並みである。往時の繁栄を思わせるものだが、これらの建物が何時出来たかはわからない。ただ、1614年か次の15年頃に支倉使節団がローマ法王に面会するためスペインからこの街やジェノバを通って行ったという記録が残っている。支倉常長は伊達政宗の支配下にある召し出し衆という下級武士であるが、支倉家の土地を豊かな土地からやせた土地に替えられたため旧領戻しという元の土地に帰ることが宿願なのである。それを可能にするのがこの遣欧使節の成功なのだというモチベーションで、彼は言葉も分からず、政治的な駆け引きなどの経験もないまま、使節団の代表としてメキシコ経由でスペイン、ローマにまで行っている。
SS1からサボナの街並みを見る |
そして今日の目的地ジェノバの遠望である。造船所が見える。街は山側に向かって上がっているのがわかる。
ジェノバのホテルに到着したのが13時半ぐらい。今旅行初の4つ☆ホテルであるが、フロントで名前を言っても予約がないというそんなはずはないとホテルドットコムから来た日本語のメールを見せると、取りあえず部屋のキーを貰った。結局昨夜予約したとき、25日で予約したため、26日の予約はないということがわかった。昨夜の分はキャンセルが出来ないので、今夜の分は別に払うということで落着した。
<ホンイチの街並み>
これはジェノバの中心から1.5キロ位の傾斜地にある街並みです。この道の作り方がサンレモで見た路地の道の意匠と酷似している。レンガの小口を表面にしき玉石をモルタルに埋め込んでいる。この道は人通りはほとんどない。この左手20メートルくらいのところをケーブルカーが走っていて、この斜面を歩いて登る必然性がないからである。しかも右手は黒くてよく見えないけどコンクリートの擁壁、左の建物にも人気はない。幅員はサンレモの3倍もあるが、同じ意匠を用いても街並みは出来る訳ではないのだという反面教師的な意味でホンイチにしました。
<今日のホテル>
ジェノバ「HOTEL BRISTOL GENOVA]」
昨晩ジェノバのホテルを探していたら安いものはほとんど満室で、空室があっても三つ☆で8000円位する。それなら四つ☆で11000円を奮発しようと予約したら、前日の予約だったため、二日分を払う羽目になりました。でもさすが四つ☆、ミニバーはあるし、洗面所にはアメニティがある(使わないけどね)。
階段室を上から見下ろすと楕円形の重なりが美しい |
日本語でコメントを入れて読めますか、頭がフランス語になっていることでしょう。鈴木君がFaceBookに紹介したので、これであらかた小山君を囲む友達もこのブログを読むことになったでしょう。うちの小林君にも伝えました。無事トリエステまで行って下さい。
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