2018年9月30日日曜日

イタリア コムーネの街並み探訪2018 第十七日

1,本日の行程
 オルビエートの朝は好天で小春日和という感じ。帰りはケーブルカーではなく道路を下る。全くペダルを回さないで下のレベルまで下る。駅の窓口でspoletoまでの乗車券と自転車用の切符を買う。そしてホームで電車を待つ間に可愛い菊科の花を見つけて写真に撮ってみた。
秋なのだ
電車は時間通りに来て途中のOrte駅でFoglio行きに乗り替える。この電車がほぼ満席で自転車置き場もスーツケースで一杯。自転車に付き添ってないと倒れるおそれがあり、ずっと立ったままSpoletino着。ホテルへ直行。2時半ぐらいに到着。街はドゥオーモに向かって上りなので、結局ホテルまでほぼ登り。ホテルにチェックインし、洗濯をして、すぐ街に出る。ここでの関心は「塔の橋」である。ドゥオーモより更に高い所にある館から川を挟んで対岸まで高さ80メートルのローマ時代のアーチ橋がある。
向こう側には「ミルの要塞}があるだけ

真ん中のモザイクは金色に光ってる
今から2千年前にこの橋が出来たのだが、そもそも向こう側に渡る理由がないのだ。「ミルの要塞」があるだけで、ミルというのは粉をひく機械をミルというがそれと同じかどうか。しかもこの橋は恐らく2千年間びくともしないでたっているのである。4,50年で崩落する橋とは違うのだ。全くこの時代の人の価値観やものの考え方がわからない。
 Spoletoの街並みはなかなかのもので、特に店舗やレストランが並ぶ目抜き通りから一本入った小路の舗装がいい。
なかなかこっている
2,本日のホテル
 Spoletoの繁華街から近いところにある「Hotel Charleston」で59ユーロ。

 



2018年9月29日土曜日

イタリア コムーネの街並み探訪2018 第十六日

1,本日の行程
 気持ちよく晴れた朝、Chiusiまでチャリユキで行く。相変わらず道路のコンディションはよくない。特に路肩がない道路では、道路の端に白線が引かれているが、そこから道路中心に向かった1メートルぐらいが一番悪い。つまりチャリで走るところが一番影響を受けるのだ。
 Chiusiまで約20キロ弱、最後の登りは昨日よりは楽であったが結構登らされた。街中で街並みの写真を撮り、駅に向かう。
Chiusiの街並み

 駅は街よりも100メートルは低いところにある。ここで昼飯を食べ、12時59分発でOrvietoへ。20分くらいの乗車であるが、車掌が来て自転車の切符がない。といって、罰金として60ユーロ払えという。検察で指摘されたことはあったが、この次は気をつけてねということで許してもらっていたので安心していた感があった。仕方なくカードで払った。駐車違反だと思うしかなかろう。僅か3ユーロぐらいだから買っておけばよかったといっても、自動販売機では買えないので、窓口で並んで買わねばならない。
 そしてOrvietoに到着し、駅前のケーブルカー(これもイタリア国鉄が運営)に自転車共々乗せて100メートル程上る。ホテルはそこからすぐなので、チェックインをして街を歩く。見所はドゥオーモであろう。街並みについては期待したほどではなかった。
正面は壮観である
2,今日のホテル
 Orvietoの旧市内にある「Hotel Corso」。60ユーロ。WIFI が使えない、携帯は3Gになってしまう。今日の走行距離は約30キロ。

2018年9月28日金曜日

イタリア コムーネの街並み探訪2018 第十五日

1、本日の行程
 ペルージャのホテルで、おばあさんは3ユーロで朝食をつけるよといったのを忘れているのかなと思って、精算でカギを出したら、朝食をカウントしてるから食べていったらというお言葉に甘える。実は甘いパンはどうでもいいのだがコーヒーが飲みたかった。ホテルから駅までは下り坂ばかり、しかも一方通行を逆行で指示してくるので、歩道などに待避しながら下る。
 天気はいいが、ほんの数日前まで日射しを避けていたのが、逆に日射しほしさに日の当たるベンチを探したりして、えらい様変わりだ。こちらもPeakのウィンドーブレーカーを着込んでこれ以上ない防寒態勢である。
 Perugia11時47分発でTerontola-Cortonaへ、ここでローマテルミニ行きに乗り替えてChiusi C.T.で降りる。次に約30分待ちで今日の目的地であるMontepulcianoまで二つ目のシエナ行きに乗る。
最初の乗換駅

二番目の乗換駅

今日の目的地
到着は午後2時過ぎ、取りあえず今日のホテルにチェックインして荷物を置いて、トスカーナの景観を探しに出かけよう、とホテルに着いたら施錠されていて人の気配無し。荷物をそこら辺においていく訳にはいかないので、荷物を背負ったままほぼ10キロ先の標高600メートルのMontepulcianoに向かう。ほとんど上り勾配の道をひたすら漕ぐ。ペダルはしっかりしている。問題はこちらの脚力だが、なんとか街にたどり着く。Montepulcianoには観光客も多数いた。みんなどうやって来ているのだろう。
観光客は多い

 Montepulcianoの街並みは平均的なものだが、早々に引き返す。15時にホテルは開くはずなので、4時頃には戻りたいのだ。そして帰りは上っていったのとは逆に下りばかり、もうほとんどペダルにトルクをかけることなくどんどん下ってゆく。ブレーキが大変なくらいだ。自分が本当にこれを上ってきたのかと思わず感心してしまった。
 しかし2013年に見た感動的なトスカーナの風景はここにはなかった。同じトスカーナ州でも違うのだ。季節の違いもある。ブドウ畑が多い。でもこの世のものとは思えぬトスカーナの風景の価値を再認識しただけでも満足だ。
この程度です。

2,今日のホテル
 今日はMontepulciano駅から七百メートルと至近な「Il Grifo Hotel」で、広さも十分だし、設備もよさそうだが、電気湯沸かし器が通電しなかったり、洗面台の栓がなかったりと結構間が抜けている。値段は65.7ユーロ。







2018年9月27日木曜日

イタリア コムーネの街並み探訪2018 第十四日

1、Assisiには究極の街並みがあった
 昨日はAssisiを訪れることができなかったため、朝食後チェックアウトして、荷物と自転車をホテルに預けて、徒歩でAssisiの聖フランチェスコ大聖堂をめざした。ホテルの立地がよく、我が家から駅までぐらいの距離に大聖堂があるため、この行き方がベストである。
 何よりも先にジョットの壁画を見た。キリストの生涯が祭壇から天井にかけて描かれている。といってもジョットの筆によるものかどうかはわからないのだが、なぜなら1997年のこの地域を襲った大地震のために天井の壁画などが落ちて死者をだしているからだ。聖フランシスコの墓があり、巡礼者が訪れる聖地になっているため、約2年で建物も含めて復旧したという。
明るい感じの石がとてもいい。暗さが全くないからだ。
Assisiの丘は全長500メートルくらいで、全ての場所に最高クラスの街並みが出来上がっている。これと同様なところとしてはシエナがあげられるかもしれないが、シエナの街並みは今ひとつであるのにたいして、Assisiの街並みは通りによって石やタイルの張り方を変えて単調なパターンにならないように配慮されている。しかも見苦しいものが殆どない。しかも管理も万全で落書きなど全くないし、壁なども朽ちかけているものは見当たらない。
行き止まりの小路も見事
邪魔なのは撮影者の影だけ?
Assisiの丘でなく、駅の近くの街中に離れて建っているサンタ・マリア・デッリ・アンジェリ聖堂も建設されたのは1500年代で、Assisiの丘の建物群とともに世界遺産に指定されている。

塀に囲まれているが、何でここに裁っているのか理由がわからない
2,今日の行程
 Assisiから列車で二つ目,Perugiaに移動しました。Perugiaといえばイタリアで今でも最も知名度が高い日本人中田英寿が所属したチームがPerugiaでした。それ以外には何の知識もなかったのですが、この地域では結構な大都市(人口17万人)です。
 しかし駅をおりて、チェントロに近いホテルを目指して自転車で走り始めてから、ずっと上りが続きます。要するに中心地が高い所にあり、駅は低いところにあるということですが、それだけでなくあとで歩いてみてわかったのですが、平らなところが非常に少なくていつも坂を上ったり、下ったりして移動することになります。空中を横切る石橋もあれば長い階段もある。
 写真がなくて申し訳ありませんが、実に足腰が鍛えられる街なのです。街並みとしては特別に感じたものはありませんでした。
3,今日のホテル
 「Hotel Sebastiano」という二つ星のホテルですが、到着したとき、人の気配を感じなかったので押しボタンのブザーを二度鳴らしたら、80近いとおぼしきおばあさんが出て来て、予約はあるのかと聞く。仕方ないからスマホのブッキングドットコムの予約完了ページを見せたが、これが日本語で書かれているためおばあさんにはよくわからない。でも住所は確かにここの住所でもあり、予約はあるのだろうと推測してくれたのですが、「シングルの部屋がないわ」と云ってるように感じたので、こちらはわからないふりをしていると、仕方ないと渡したカギで部屋に行ったらダブルサイズのベッドがありました。カギの置かれている棚を見たら、二つか三つぐらいしかカギがなかったので、結構繁盛しているようです。値段は45ユーロ。この値段、おばあさんはわかっているのかしら?
 



 

2018年9月26日水曜日

イタリア コムーネの街並み探訪2018 第十三日

1,今日の行程
 今日は鉄道を使っての移動。予定通りに進めば、今頃(25日午後9時17分)はAssisiの余韻に浸っている頃であろうが、現実はそうはいかなかったのだ。
 午後12時50分発の乗車券を確保して、Ancona市内を探訪した。特に昨日は駅と造船所の辺りの外国人居住区しか見なかったので、チェントロに行って見た。
 
メイン道路の一つであるが活気は今ひとつ
港町の中心という感じよりも、やや斜陽化した地方都市の中心地区といった方が適当か。ともかく駅の辺りとは一線を画しているが、そこそこでしたということです。
 港を通ったら「オリンピック チャンピオン号」という名の大型のギリシャ船籍のフェリーがいました。貨客フェリーなんでしょうがすごい派手な船でした。
どの程度の稼働率なのか気になります
そして駅へ戻って、12時50分の汽車に乗るまで駅で待機してました。ほぼ時間通りに
Fabrianoに到着したので、20分後のAssisi行きに接続するために、駅の表示を見ても15時34分発の列車がないのだ。おかしい、確かにAncoraの窓口で自転車も込みのチケットを購入しているのだが。窓口に行くと女の子が、Assisiに行くには17時20分発の
Foligno行きで終点まで行き、そこで19時03分の列車でAssisiに行くしかない、という。自分がメモ帳に書き取っていた時刻表は全部嘘なんかい。事実このルートでAssisiまで来ました。外は薄暮です。4年間ではじめて前照灯とテールランプを付けてホテルを目指します。駅からAssisiの丘の上を見ながらほぼ直進する。向かい風がすごくて平坦路なのに、前のギアを軽くしないと前に進まない。これでナビの示す先にホテルがなかったらと考えたが杞憂でした。もうすぐ近くに聖フランチェスカ大聖堂がライトアップされてきれいです。
暗い写真で申し訳ないですが、明るいところがAssisiの聖堂群です
ホテルはちゃんとありました。「カントリーハウス・トレエッセ」59ユーロです。
部屋も大きくてきちんとしてました。洗面所にバスタブが着いていたのがうれしくて早速お湯をくみ始めてもお湯が出ない。これは他の部屋などでお湯をつかっていると、熱いお湯が出にくくなるのと同じ状況であろうと、気長に汲んで入らせていただきました。今旅行で初です。ホテルの回りにレストランなどないところですが、品数は少ないけど軽い食事がホテルでいただけました。8時終了の5レストランですが5分前に滑り込みました。

2018年9月25日火曜日

イタリア コムーネの街並み探訪2018 第十二日

1,チャリユキは大丈夫だったけど、博正が・・・
 Riminiの朝はまずまずの天気。今日のサンマリノ共和国往還決行。片道23キロ標高差600メートル、最後の5キロは押してあがっても1時間。午後早くにはRiminiには戻れるはず。
 そしてミシュランナビで出発。5キロ位から上りが始まるが、シッティングで進む。サンマリノ共和国の入口まで15キロ。歓迎のアーチがある。
結構街の雰囲気
この辺から上りがきつくなりギアもこれ以上軽いやつがなくなるが、まだ幹線道路が続き車はなんなく上っていくが、こちらは限界にさしかかる、あと5,6キロの地点でまいった。その時サンマリノの山はまだそそり立っている。
あそこまで上らねばならないのだが・・・
一応サンマリノには入国しました。パスポートチェックも何もないのですが、車を見るとサンマリノナンバープレート。
EUナンバープレートでなく独自のもの
パトカーがいたが、これもサンマリノ警察のもの、税金が安いのでイタリアから客が来るのか電化製品の中型ショップがある。要するに世界で5番目に小さい独立国なのである。それにしてもなぜこの国はこういう形で今日まで生き長らえているのかという疑問を持ってしまう。世界ではじめてできた共和国だからか、ベネツィアだって共和国だけどイタリア統一の時にイタリアに入った。これは私が勝手に考えたことだからあまり真に受けないでいただきたいが、カギはイタリア統一の立役者であるガリバルディをオーストリアからかくまったことにあるのではないか。ガリバルディが捕まってしまうとイタリアの統一もなかったかもしれない。その重要なガリバルディがサンマリノには自分の命を救ってもらった大きな恩があるので独立したまま遺したいと彼か唐絵の腹心が決めたのではないか。塩野七生の著書の中に会頭があるかもしれないがどなたか教えて下さい・
 そしてRiminiまで戻って来たのが昼頃、昼飯を食べて、街並みを見ようかと思っていたら、突如雨粒が落ちてきて、風も吹き、温度も下がり、これはいけない早くRimini駅に行かねばと上半身だけ雨合羽を着て走る。下半身はずぶ濡れだが、駅に到着すると、切符を買ってパニーニを食べて電車を待った。サンマリノ行きを強行していたら途中の坂道でこの雨にあって難渋していたであろうと考えると早めのギブアップはよかったと思う。
 しかしこれから山の中のコムーネの訪問を考えていたが、坂上りは無理なので方法を考えなくてはならない。
 13時15分のAncora行きの列車で移動。空いているし自転車はハンガーに掛けてあるのでゆったりとアドリア海を眺めながら列車の旅を楽しんだ。
昨日は波一つなかったが今日は海が白い
昼の雨をきっかけに季節が変わってしまったようだ。イタリア人も変わり身が早いというか、駅には革ジャンを着てるお兄ちゃんやセーター姿とかが出現してる。もう半袖は終わりなのかもしれない。
2,本日のホテル
 駅の前という好立地だけが取り柄のホテル。Anconaの「Hotel Dorico」60ユーロ
ベッドだけ写していると皆同じようですが違いはあります。今日ははずれ





2018年9月24日月曜日

イタリア コムーネの街並み探訪2018 第十一日

1,今日の行程
 今日は朝から素晴らしい天気で、東京からは最高気温が20度を割る日もあったなど季節が変わりつつあることを伝える情報も入っているが、こちらは真夏というほど日射し強くないが、秋を感じさせるものはすすきみたいな丈の高い草が生えているのを列車から見た時だけである。
 9時過ぎにホテルを出発、一路南下すれば自ずとRiminiに着くだろうというのは早計で、牛がのんびりと草をはんでいる風景にほっとしていたら、道を間違えていて目的地にいけない経路をとっていた。しかもこの牛は作り物で実物大なので本物かと思ってしまった。
まぎらわしいよね
改めてミシュランナビの指示に従って南下を開始。全体の2/3の行程は畑の中をひたすら走る感じ。道の右端は亀甲状のアスファルトのひびが目立つところがあり、結構気を遣う。タイヤを取られたら簡単にこける。しかもわきを100キロ位で車は疾駆していく。
 そしてやっと2014年以来のアドリア海とご対面。
本当に水着姿の女性がいた
海岸線に沿ったところのレストランで昼飯。写真はないのですが、アンティパスタ(前菜)の魚貝の盛り合わせは美味しかったです。スパゲッティボンゴレはあさりがシジミのでかいぐらいの大きさしかなく、味もイマイチでした。
 そしてごご二時過ぎには、本日のホテル「Hotel Ambla」着。結構立派なホテルでこれで35ユーロはほんまかいな、という安さ。
ダブルのとなりにもう一つシングルがある
Riminiの街の風景はよく見ていないが、月並みなので取りあえず、一枚だけそれらしい写真を載せておきます。明日時間があったら追加するかもしれません。今日の走行距離は67.5キロでした。
松並木だけが特徴かな。
2,本日の夕食
 ホテルから歩いて7分ぐらいの所にある「Ristrante da Lele」です。グーグル地図で見つけたのですが、期待できる料理なので、イタリアへ来てはじめて赤ワインのグラスを頼んでしまいました。
普段飲んでるメルシャンの赤ワインの方が勝ち
事前にこの店のHPで目星を付けていた「Lasagna di Pesce」簡単に言うと魚のラザニアです。魚は白身の魚、あとエビの身を細かく切ったものが入っていて具が一杯とは言えないのだが、ラザニアとクリーム、チーズのマッチングがすばらしく、逸品といっていい。
たっぷり量を堪能しました








2018年9月23日日曜日

イタリア コムーネの街並み探訪2018 第十日

1,今日の行程
 「一日はイタリアの新幹線フレッチャロソッソ(赤い矢)のように早いが、この十日間は普段の1ヶ月位に感じる」何故なのかわからない。でも今日で半分を消化した。あと半分の期間がやはり1ヶ月と感じるなら先は長いということだ。どうなるかはわからない。
 今日はフェラーラからラヴェンツァまで鉄道移動。フェラーラで街並み探訪をして午前中を過ごし、量だけ多いが味は二の次のケバブのハンバーグを食べた。どういう経路で行くのかなと思ったが、フェラーラからラヴェンツァまで一直線でつながっていた。本線ではないが車輌は新しく、自転車を引っかけるハンガーもしっかりあって、ドア近くに立てかけると停車の旅に邪魔にならないように対応しなければならないということもなく、安心できる1時間半であった。
久しぶりに健常なチャリユキです

 ラヴェンツァに着くと世界で一番ビザンチンのモザイク版画が残っているこの街で5つの寺院や聖堂を回るスタンプラリーを敢行した。チケットは7日間有効であるが、自転車で回ればすぐじゃないかと約1時間半で回った。モザイクは精巧に出来ているが経年変化が殆どなく6,700年は経っていると思うが色もきれいな状態を保っている。非常に細かいが細かい故にモザイクのかけらが見えない、
サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂のモザイク画
2, 今日のホテル
 ラヴェンナ中心から3キロ弱離れた街道沿いの「Hotel Romea」60ユーロ。
 意外だったのが、このホテル完全に中国人の支配下にある。フロントからレストランまで中国人が活躍している。こういうホテルが増える可能性は十分あるが、ここに中国人の団体客を呼び込もうとしているのだろう。
 ホテルに連続した寿司などを供するリストランテに入った。過去に中国人か韓国人が経営する日本飯の店に煮え湯を飲まされているので、その二の舞を踏むまいと沢山あるメニューの中から中国料理に近いものを頼んだ。麻婆豆腐と海鮮焼きそばである。ビールも日本のサッポロなどは避け、地元のビッラ(ビール)を頼んだつもりであったが、青島ビールであった。これは正解であった。

2018年9月22日土曜日

イタリア コムーネの街並み探訪2018 第九日

1,今日の行程
 Bresciaまでは日本を発つ前まで回ってみたいと思っていたところです。Comoは飛ばしました。2013年と重複するのはミラノだけですが、街並み探訪としては成果は少なかったのは前回と同じです。しかし都市としての活力は相応に感じることができました。
 今日は鉄道だけでFarraraを目指しました。距離としては200キロ以上はあるのですが、Bresciaを出てベローナで乗りかえてRovigoに行き、さらにRovigoで乗り替えてFarraraまでです。9時32分発は10分ほど遅れて到着したため、ベローナで接続する最短の乗り換えはできなくなったため、Rovigo経由となりました。
Rovigo駅に到着した一両のディーゼル車。
Ferrara到着は二時半頃で、これから街中を回って、街並み探訪しようと自転車で出てから10分ほどして、左足にペダルの違和感を感じました。踏むとふにゃとするのです。まさか、と思ってペダルの根元を触ってみると手で回るほどゆるゆるになっている。モンツァで買った強力接着剤は見た目通りの接着剤で効き目はなかったのだ。ともかくやることはまた自転車屋を探すことです。300メートル位の所にあった一軒はレンタルサイクルの店で、しかも午後の休息中。もう一軒近くにある店は、間口もたっぷりありロードレーサーも扱い工房もちゃんとしている。経営者の二人のうちの一人がいろいろやってくれたが、結論としてはカンパニョーロのクランク交換をしないと無理ということになり、その店はカンパを扱っていないので、4キロほど離れたところにある自転車屋に電話してもらって、なんとかしてやってくれと商売敵に頼んでくれた。いい人達だけど事態は深刻な方向に進んでいるので、こんどこそFerraraで2,3泊かと覚悟を決めて、店に向かう。右側のペダルだけで走るので容易でないが、こちらも必死である。グーグルの道案内のわかりにくさに右往左往してやっとBorghi Bikeという店に着く。先ほどの店より5倍くらい大きな店で、ロードレーサー専門店でカンパの扱い店でもあるようだ。郊外の街道沿いの店なのに客は多く、こちらが入っても誰も構ってくれない。しばらくしてオーナーらしき60代の男性が自転車を預かるということなので、こちらははずれたペダルを渡すとそのまま居場所もなく座っているのみ。15分位して前掛けをしてイタリア伝説のツール勝者マルコ・パンターニのような小柄でスキンヘッドの50前後の男性がチャリユキを店の面積の半分近くありそうな巨大な工房に運び、作業台に固定する。ガラス張りなのだが、真ん中で作業しているのに様子がわからない。ただクランク交換を頼んでもらっているはずなのに、クランクの部分はそのままにしてバイスでねじ切りをしたりしている。クランク交換しないでねじの部分を修復しているのか?そして1時間ちょっとぐらい経って、パンターニ氏は自転車を持ってきて、黙っておいて、次の作業にかかろうとしていた。見た目は以前と同じであるが、しっかり固定されている。いくら払えばいいかを別の店員に聞いたら30ユーロだという。クランク交換なら3,300ユーロはかかりそうなところを1/10の値段で済んだ。ミラノの店では、たまたまあった径が太めのペダルがうまくかみ合ったのでその後走れたのだが、結局このペダルのネジもゆるんでしまった。しかし今回の修復は自分には魔法としか思えないのだが、パンターニ氏はクランク交換でなく見事に直してくれたのだ。これぞトリノの匠を超える神対応で復活したのだ。
2,今日のホテル
 きょうはアグリツーリズムの宿を予約していた。パンターニ氏のおかげで7キロ位を普通に走ってこれた。
 宿の名は「Agriturismo Corte dei Gioghi」で、プールがあり、部屋も広いのでリラックスできる。夕食がついていないのが残念でした。65ユーロ。
 宿から300メートルほど歩けばTokyoという名のアジアレストランとイタリアンの店があると説明されたが、当然イタリアンである。これは熟成牛のフィレを巻で焼いたもの。久しぶりの肉が食べられてよかった。
300グラムはあるかな
一つ気になったのが、宿からこのレストランまでの往還である。Ferraraとラヴェンナと結ぶ幹線で、夜でも車がひっきりなしに100キロ近くで走っている。しかも歩道がない。道路の端に白線があるとそれでおしまい、街灯がないので車は多くても足元は暗い。そこで威力を発揮したのが、孫からもらった人差し指ほどのライトである。これを振りながら対向車に注意をさせるようにしてなんとか行ってこれました。孫に感謝。
鼻の部分がライト



 
 

2018年9月21日金曜日

イタリア コムーネの街並み探訪2018 第八日

1,本日の行程
 ゴルゴンゾーラの民泊を出るとき、マンマが見送りに来てくれた。昨日泊まった所のすぐ上がマンマの家だったのだ。一緒に写真を撮ったりしてさよならしたが、設備的には問題だらけの宿であったが、すべてがマンマの優しさに包摂されてエクセレントな宿という評価を出しました。
 今日はRomano di Lmbardiaまでは自転車、ミシュランの自転車ナビ行きましたが今日のコースは問題なしでした。Romano di Lmbardiaまでわずかというところでちょっと素敵なレストラン見つけたので、やってるかなと除いたらジローラモそっくりの伊達男が玄関を開けてまだ開店していないが、構わんから入ってということでここで昼飯となりました。
サービスの前菜

数種の貝のむき身をソースにからませたタリアテッレ
28ユーロと高かったけど満足でした。
 Romano di Lmbardiaは小さな町で、かなり地味な街並みでした。
床が大きな平石が敷かれている
Romano di Lmbardiaからは列車でBresciaまで移動しました。到着後街歩きをしましたが、街並みなどは特に際立っているわけでないですが、駅近くの再開発地区で建てられた建物がちょっとおもしろいのでご紹介します。
高層部妻側は石張り、低層部はガラス張りの商業施設

少し視点をずらすと低層部と高層部が同じ建物とは思えません

長手方向から見た写真ですが、この建物の高層部は最上階を含めて住宅であると確信しました。何故なら少し大きな正方形の開口部はバルコニーになっていて洗濯物が干されていたからです

こちら側の妻側は全面ガラス張りですが、窓が開いています。恐らく反対側の妻側にエレベーターがあるのではないかと思います

長手の面の反対側です。中廊下であることが明白です
2,本日のホテル
  Bresciaの駅近にある「Albergo Stazione」で、値段は50ユーロでした。
 

2018年9月20日木曜日

イタリア コムーネの街並み探訪2018 第七日

1,本日の行程
 9時過ぎにのホテルを出発して、まず近くの大型店に行き、強力接着剤を探しました、意外に簡単に見つかりましたが当然アロンアルファとかセメダインではなく、どこのものかはわかりませんが、ヘブライ語が併記されていたのでイスラエル製?エクストリームに強力で金属にも適合とあります。これをどうしたかはこのこのあと説明するつもりです。600円近くしました。
 続いてのMonzaのチェントロ(中心地区)を目指します。途中テレビ電話で孫の顔を見て元気が出ました。2キロほど離れたチェントロは思ったよりも落ち着いた雰囲気で地元の人か観光客かはわかりませんが、午前十時ごろの割りには結構な人出でした。あいにくMonzaの大聖堂は改修中
Mozamの午前10時ごろの繁華街

大聖堂は改修中でした

 Monza駅でBergamo(ベルガモ)までの切符を買って、10:49発に乗ろうとしたのですが、何番線に来るのかがわからない。掃除している女性に効いても埒が明かず、窓口で聞いて4番線ということがわかったのですが、同時に途中の駅でアウトブスに乗り替えてベルガモへ行けという。その肝心の乗換駅がわからないので列車に乗っている間、不安だったのですが、結果的には途中駅で運行を取りやめたため、ベルガモへ行く人はバスに乗りかえることになったのです。大型のバスに2,30人が乗り、バス旅行に変わるのは変化があっておもしろかったのですが、結構な山道が続き、これを自転車で行くとなると、大変なことになるなと内心ほっとしていました。途中どこにも泊まらないで駅に着いたので、当然ベルガモ駅だよねと思って僕だけバスの荷物室にチャリユキを置いていたので、その間に他の客はどこかへ行ってしまったので、ここベルガモで昼飯を食べて、街を探訪しようと思ったのですが、どうもこの駅はベルガモではなくベルガモまでまだ20キロもあるところだったのです。駅構内を見ても列車が待っているわけではない。他の人がどこへいったのかわからないまま、こちらはナビを設定して、ベルガモに向けて出発しました。
 グーグルナビが高速道路へ誘導する悪さがまた出て、すぐに自転車を押しながら引き返すということがおき、昨日Monzaへ来るときにナビに翻弄されて、迷い人になった悪夢が再現されそうになりました。すぐに昨日救ってくれたトポプロファイラーにかえると、これが昨日使いすぎたためか、サーバー容量が制限を超えているのでしばらく経ってからにしてくれと拒否され(今日は一日中使えず)、ミシュランナビで自転車モードにして高速を使わない道案内をしてもらいました。
 ベルガモについても山の上の観光地に行くには相当な山登りが必要なので、どうしようと思ったのですが、都合よく上まで行くケーブルカーがあり、ふもとに自転車を置いてあがりました。
標高差100メートルくらいでしょうか

 ベルガモは観光客が多くてなんかごみごみしている感じで、早々に切り上げました。
次に向かうのは今日の宿泊地ゴルゴンゾーラです。引き続きミシュランナビで行きました。
 こちらも車ではいけそうにない吊り橋の道なども設定してくれてありがた迷惑ですが、高速に引きずり込まれないためにはやむをえないと思っておつきあいしました。
結構揺れましたが、両側のフェンスが高いので我慢できました


のんびり釣り糸を垂れているひとがいるのですがわかりにくくてすみません。無論優雅な老人でしょう。
そしてゴルゴンゾーラに向かう途中で恐れていたことが起こりました。左足でペダルを踏み込んだときゴキッといういやな感触があったので、すぐに止まってレンジで締め直すと何とかきっちりとおさまりました。しかしその後の15キロ位は左足を踏み込まないように走らねばならず、ゴルゴンゾーラの宿に着き、今朝買った強力接着剤で固定しました。これでどんな踏み込みにも堪えられるといいのですが。今日の走行距離は64キロでした。

2,本日のホテル
 ゴルゴンゾーラという地名は、チーズの名前と同じなので、発祥の地かもしれません。しかしここに決めたのはホテル代が安いからです。民泊ですが珍しくオーナーのおかあさんが待っててくれました。英語がわからないからとスマホのグーグル翻訳でイタリア語から日本語に変換してやりとりしましたが、結構伝わりました。既に朝飯の材料が揃えられていてマンマの気持ちが伝わってくるようないい気分でした。毎日ホテルをかえるとこういうこともあります。「Da Mamma Agnese」50ユーロ
食材だけでなく調理器具や洗濯機まで備えてます

 

2018年9月19日水曜日

イタリア コムーネの街並み探訪2018 第六日

1,今日の行程
 paviaの郊外にあるpavia修道院を訪れ、pavia修道院駅から汽車でmilanohへ行く。ミラノで昼食を食べ、あとは見たいと思っていたところを何カ所か尋ねたい。そしてミラノから今日のホテルのあるモッツァに泊まる。特に何も起こらない感じである。
 しかし少なくとも2回の出来事に翻弄されてしまった。
一つ目はミラノでペダルがはずれたこと。クランクまで及ばねばいいのだが、と思いながらグーグルで検索した自転車屋の情報で1.9キロのところに「tokyobyke」がある、そこまでえっちらおっちらと押して歩く。店に着くと利発そうな奥様が店を旦那と相談し、こういう修理はうちではできないのでvia atoppani通りの店でやってもらったらとのご指示通りに「Bycycle Yourself」という店に行く。日本から来たのなら友達が埼玉にいる(丸山直弘?)。などと話をしているが、自転車の方は深刻でクランクとヘッドパーツを交換しないとダメだ。カンパの純正パーツの在庫をどこかに確認していた、2,3日はかかりそうとのこと。その間、ミラノで待つのか。そんなことをするなら新しいバイクにする方がいいかもしれないが、できれば今日中に何とかしてもらいたい。そこで店にあるビンディングのクリート(ペダルと同じ)をはめてみたらしっかりと固定された。よかったよかった。
 そして二つ目はホテルのあるモッツァに行く途中完全に迷子になってしまったのだ。無論スマホのナビを動員しているが、ミラノからモッツァに一直線でなく、高層道路に沿って違う方向に行き、そこで高速のインターチェンジと一般道が複雑に入り組むところ、この迷路に入って出られなくなって石待った。グーグルとミシュランのナビは同じ道を行けといってくるが、それをいくと高速にはいってしまう。それに現在位置がわからないのだ。最後の手段ででてきたのが昨日も触れたTopoprofilerである。これはコンピューターが計算で出したものでなく、ほぼ手動で通る道を選択出来るのだ。モッツァの方向も確認できた。ようやくホテルにたどり着いたのは精魂果てて7時ごろであった。電車にも乗ったにもかかわらず75キロも走った。


パヴィア修道院の壮大なファサードは一見の価値あり

ミラノで見た街並み

 
「醜い家」と呼ばれる建物。実物はそんなに悪くはない

 2,本日のホテル 
 ,MonzaにあるHotel Moska.。このホテルに来るためになんという犠牲を払ったことか。しかし語るに足る評価はない。ミラノのホテルの値段があまりにも高いのでここを取ったが、ここでも69ユーロ,