二日間街中を走っているので、大体様子がつかめてきた。ホテルの近くの辺りが、まだ走っていないので、まずその辺りをゆっくりと見て回る。
そんなに歴史のある住宅街ということではないが、大きな戸建てもあり、結構な高級数宅地とみました。ただ、街並みという観点からいうと、まだこれから頑張らないとというところが多い。
まだ街並みとはいえない。珍しく電柱が立っていた |
壁と建物の細いすきまを抜けると視界が開ける |
下り坂の先は海である |
収穫がないので、トリエステに隣接した街を見てみようと、海に沿って走る。途中から交通標識にイタリア語とは別の地名が出てくる。スロベニアの国境が近いのだが、いけるだけ行って見ようと今度は北に針路をかえる。ゆるやかな登りが続く、道の左手に突如高密度の住宅団地らしきが見えてくる。
延々と登りが続き、うんざりしたので止まって、「標高ワカール」で調べてみたら、250メートルを超えています。いつのまにかかなり登っていたのです。でも、まだまだ登りが続きます。急にモチベーションが下がり、Uターンしてトリエステに帰ることにしました。
そしてトリエステの街に戻り、サバが最後に住んだ住宅を探すことにしました。
そして石垣で街が終わる坂の上を求めて、サバの家から登っていけそうな道を選んで行って見る。石垣はあったが、街は終わらなかった。
<ホンイチの街並み>
トリエステ 坂の上のトラットリアのテラス席から見たトリエステの街の風景です。街並みではありません。ごめんなさい。
トリエステ 「Hotel San Giusto」☆☆☆
昨日に続きもう1泊します。
トリエステの日々はいかがですか?
返信削除今更ですが、今から十年以上前ですが、経団連の関係で、ピエロというイタリアンを二週間ほど、豊玉事務所で受け入れてましたが、彼は、確か、ヴィツェンツァの大理石屋の息子だったような。。
さて、旅路も残すところあと少しでしょうか。
グランツールの期間も超えて一ヶ月目前ですね。最後までお気を付けて!
トリエステはサバの街ですから、それは言うことはありませんね。彼の詩集をもって坂道を下っていくと狭い街路からアドリア海ば垣間見えて・・・・。須賀敦子ならずとも感傷的になるでしょう。今は一番良い季節ですが、四季おりおりの思いがあるでしょう。『トリエステには、閉ざされた悲しみの長い日々に 自分を映してみる道がある、旧ラッザレット通りという名の。」
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