2013年6月18日火曜日

南欧自転車ぶらり旅  第二十九日


トリエステ三日目。
 二日間街中を走っているので、大体様子がつかめてきた。ホテルの近くの辺りが、まだ走っていないので、まずその辺りをゆっくりと見て回る。
 そんなに歴史のある住宅街ということではないが、大きな戸建てもあり、結構な高級数宅地とみました。ただ、街並みという観点からいうと、まだこれから頑張らないとというところが多い。
まだ街並みとはいえない。珍しく電柱が立っていた
壁と建物の細いすきまを抜けると視界が開ける

下り坂の先は海である

 収穫がないので、トリエステに隣接した街を見てみようと、海に沿って走る。途中から交通標識にイタリア語とは別の地名が出てくる。スロベニアの国境が近いのだが、いけるだけ行って見ようと今度は北に針路をかえる。ゆるやかな登りが続く、道の左手に突如高密度の住宅団地らしきが見えてくる。
丘の中腹に張り付いた高密度の団地

誰が何のためにこういうものを作ったのかは分からないのですが、これだけの集積度にする必要があったのかどうかも含めて、謎が多いが、現地には行かずひたすら坂を上ります。
トンネル右上の標識の上の二つの地名はスロベニアのものです

 延々と登りが続き、うんざりしたので止まって、「標高ワカール」で調べてみたら、250メートルを超えています。いつのまにかかなり登っていたのです。でも、まだまだ登りが続きます。急にモチベーションが下がり、Uターンしてトリエステに帰ることにしました。

 そしてトリエステの街に戻り、サバが最後に住んだ住宅を探すことにしました。
1919から1957まで38年間、妻と住んでいた
この建物の4階に住んでいた

少し坂を上り始めたあたりで、交通量も多く、緑はない。住環境としていいとはいえないが、街中に出かけて行くには便利でいい場所かもしれない。サバが「どこにも活気に満ちた、ぼくの街だが、悩みばかりで、内気なぼくの人生にも、小さな、ぼくにぴったりな一隅が、ある。」と詠んだのがここだったのだろうか。
 そして石垣で街が終わる坂の上を求めて、サバの家から登っていけそうな道を選んで行って見る。石垣はあったが、街は終わらなかった。

<ホンイチの街並み>
トリエステ 坂の上のトラットリアのテラス席から見たトリエステの街の風景です。街並みではありません。ごめんなさい。

サンジュストの丘の方を見ています
<本日のホテル>
トリエステ 「Hotel San Giusto」☆☆☆
昨日に続きもう1泊します。












 



2 件のコメント:

  1. トリエステの日々はいかがですか?
    今更ですが、今から十年以上前ですが、経団連の関係で、ピエロというイタリアンを二週間ほど、豊玉事務所で受け入れてましたが、彼は、確か、ヴィツェンツァの大理石屋の息子だったような。。
    さて、旅路も残すところあと少しでしょうか。
    グランツールの期間も超えて一ヶ月目前ですね。最後までお気を付けて!

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  2. トリエステはサバの街ですから、それは言うことはありませんね。彼の詩集をもって坂道を下っていくと狭い街路からアドリア海ば垣間見えて・・・・。須賀敦子ならずとも感傷的になるでしょう。今は一番良い季節ですが、四季おりおりの思いがあるでしょう。『トリエステには、閉ざされた悲しみの長い日々に 自分を映してみる道がある、旧ラッザレット通りという名の。」

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