ウディーネを8時45分頃出発し、ウディーネ駅へ。9時34分発のリジョナーレに乗ってMonfalconeまで行き、そこからトリエステまで28キロを自転車で走ります。
電車では車掌が検札に来て、「あのな、自転車をそのまま乗せると3.5ユーロ(24時間有効)払って貰わなきゃならないんだよね。でも次回からそうするとして今日のところはいいよ」と(恐らく)言ってました。払うのはかまわないけど、自動販売機では自転車の持ち込み料金を払えないような気がする。窓口に並べば可能だが、この窓口が大体長蛇の列なのだ。だから車内で徴収して貰う方がいいのだが、そんなことをイタリア語で説明するのは無理。
Monfalconeまで約50分。ここで降りて街中を走っているとき、かわいらしい看板を見つけました。これ何の看板か分かりますか。これは通学路か文教地区の目印だと思います、でも男の子と女の子が巨大な鉛筆を脇に抱えて歩いているユーモラスな標識です。
しばらく走るとついに見えましたアドリア海です。
湖のような水の色 |
旅の前半で見た海とはちょっと違う? |
海岸線を走る道路は幹線道路ですが、岩をくりぬいただけのかなりワイルドなトンネルがあったりします。
そして海岸に接した場所には駐車場だけでなく、道路の両側もクルマで一杯です。そして水着で甲羅干しをする人や泳いでいる人もいます。
ここからトリエステの標識ですが、道路の両側は駐車中のクルマの列です |
海辺に水着姿の男女がびっしりという光景ではありませんが結構な人出です |
一人海の中を悠々と泳いでいる人がいます |
まずは、ウンデルト・サバの「トリエステ」という詩を須賀敦子の訳でどうぞ。
街を、端から端まで、通り抜けた。
それから坂をのぼった。
まず雑踏があり、やがてひっそりして、
低い石垣で終る。
その片すみに、ひとり
腰を下ろす。石垣の終わるところで、
街も終るようだ。
トリエステには、棘のある
美しさがある。たとえば、
酸っぱい、がつがつした少年みたいな、
蒼い目の、花束を贈るには
大きすぎる手の少年、
嫉妬のある
愛みたいな。
この坂道からは、すべての教会が、街路が、
見える。ある道は人が込み合う浜辺につづき、
丘の道もある。もうそこで終りの、石ころだらけの
てっぺんに、家が一軒、しがみついている。
そのまわりの
すべてに、ふしぎな風が吹き荒れる、
ふるさとの風だ。
どこにも活気に満ちた、ぼくの街だが、
悩みばかりで、内気なぼくの人生にも、
小さな、ぼくにぴったりな一隅が、ある。
トリエステで生まれ育ったサバは、父親が幼い頃に行方不明になり、ユダヤ系の母親に育てられる。十分な教育も受けられなかったが、古書店を経営したりしながら詩を書いていた。認められるようになったのは戦後のことである。ジェイムズ・ジョイスがトリエステにいた時代と重なるが、二人に親交があったかどうかはわからない。
今日はこの詩の冒頭にある海岸線に沿ってトリエステの端から端まで走ってみました。本当に立派なビルが建ち並び、往時の殷賑を極めたトリエステを彷彿とさせます。手入れも良く、見事です。
街並みという観点から見ると、この街は超越しているところがあるかも知れません。立派な街並みになりそうなのに、ちまちまとピンコロを並べたりするよりも、やるべきところは存在感のある大きな天然石を張り巡らせます。
昼飯ですけど、街中の料理が売りのカフェで食べました。大変美味しくすべて完食しました。今回の旅行でこれだけ沢山の魚を食べたのは初めてです。
運河沿いの建物群 |
運河の先端 |
スケール感が違う感じです |
客船埠頭への歩道なのに何の細工も無し |
スパゲティ・ボンゴレですが、ムール貝も入ってました |
小さな鰯を開きにして、衣をつけて揚げたものです。醤油を忘れて残念 |
ボンゴレ。トマト味がおいしそう!アドリア海といえば「紅の豚」を思い出します。風がほとんど吹いていないようですね。ちょっとも水面がゆれてないから。
返信削除遂にトリエステ、感慨無量。
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