2015年5月28日木曜日

ポルトガル・スペイン自転車ぶらり旅 第二日

 第二日目の軌跡を追う前に、第一日目の夜、ファドを聴いたことについて触れておきたい。ファドはいうまでもなく、ポルトガルの伝統的な音楽、といっても歴史は200年足らず、ヨーロッパではイタリアのカンツォーネ、フランスのシャンソン、スペインのフラメンコに相当するということだが、これらはみんな地中海に面した国々だけど、関連性はあるのだろうか。以前BSの旅番組でファドの名人というおばさんの歌声を聞いて、これって演歌(艶歌?)に近いのではないかと思った程度なので、ファドの何たるかについては問わないことにします。
 さてリスボンでファドを聞くにはどこへ行ったらいいのかわからないので、こちらへ来てから簡潔にして必要な情報を盛り込んだブログサイトに巡り会いました。
 この表には観光客目当ての高級店から歌い手が店の従業員という大衆的な店まで網羅されており、この表を作成するのに相当通ったに違いないと思いますが、コメント通りの店であることが素晴らしいと思いました。
 日本にいてはこの表の素晴らしさを感じることは無理ですが、中心となるバイロアルト地区まで歩いて行けるところにいるのですから、街並み探訪を兼ねてバイロアルト地区で”Adego do Ribatejo”を見つけたときには、迷わず店に入りました。Fado食堂と言われるだけあって、リーズナブルな料金でスープ、魚か肉のメイン、デザート、コーヒーで25ユーロ飲み物代は取らないというのはまさにリーズナブル、しかもこの店では従業員がかわるがわる歌い手になるという店なのです。
 さっき注文を取りに来ていたおばちゃんが朗々とした歌声を披露する。表で客引きをしていたおじさんがこれまたよく見るとフィッシャディスカウに似ているではないかと思わせる歌いぷり。もとより歌詞はわからないので、メロディや気持ちのこめ方で判断するしかないのだが、なんだか思ったよりも明るい感じの曲が多い。むせび泣くような艶歌が似合う気候風土ではないのでこれでいいのだと思って、ひとりメシの所在なさを歌が補ってくれて、これってありだなと思ってたら、従業員で歌手の二足のわらじの面々が、突如三足目のわらじに履き替え、自らのCDを客に売り込み始めたのだ。ひとの良さそうなおばちゃんが最初に売りに来た若い女性のCDを買ってしまったために、次に来たひとを断るのは無理と買ってしまい、4,5人が回っていたけど、さすがに全員にはつきあわなかったようだ。

 しかしとても楽しい時間を享有できたので感謝ですね、特にブログの作成者にたいしてですね。この表がないとどこに行ったらいいのか全くわからないのですから。
バイロアルト地区 圧倒的に外で食べるのが好き

前日の味噌汁の温め直しみたいだけど一応スープです

ぼけててごねんなさい。立っているのが歌い手です
 ファドが長くなり申し訳ありませんでした。第二日目については簡潔にいきます。朝から午後4時まで市内を走りました。湿気はありませんが、暑さと日射しの強さは昨年の南イタリアを思い起こしましたが、そのせいか街中で自転車に乗っている人をほとんど見かけません。テジョ河沿いと夕方の市内ではたまに見かけましたが、この坂の多い街では自転車に乗る人は少ないようです。

☆敷石舗装
 ポルトガルを今回の街並み探訪に入れたかったのは、ユニークな敷石舗装があると聞いていたからです。しかし事前の調査ではリスボンなどでは見かけないのではないかと思っていたのですが、それが結構あったのです。
 リスボンの歩道の敷石は7、8割は、ピンコロ石の半分の半ピンコロで大理石の薄い肌色が入ったものが、歩道の進行方向と斜め45度に傾けて並べています。ピンコロ一つで半ピンコロは8個できるで8倍の手間がかかります。
リスボン市標準仕様の半ピンコロ石
 ただ注目すべきは肌色の大理石と黒灰色石を組み合わせた敷石舗装です。ただ色を変えて並べたものはいいのですが、一件一件で幾何学模様が異なるパターンです。以下に実例をお目にかけます。
この模様が何かを意味するかどうかは不明

これはわかりやすい?
☆ サンチャゴ・カラトラバの作品
 今回の旅ではスペインの構造の専門家サンチャゴ・カラトラバの作品を見ることも入っています。その第一弾がリスボンのオリエンテ駅です。私のような素人をうならせる巧みな構造が普通では到底出来そうもない構造物を生み出しています。それがほれぼれするほど美しい。
これが駅の裏側みたいなところ

ホームの上に森があるみたい
☆発見のモニュメントには裏があった
 ポルトガルに一番勢いがあった時期は、エンリケ王子が先頭に立って旗を振り、バスコ・ダガマのような探検家やフランシスコ・ザビエルのように極東にまで出かけてキリスト教の布教にあたる先鋭的宗教家が活躍していた時代ですが、エンリケ王子を最前列においてバスコ・ダガマやフランシスコ・ザビエルのいる西側の反対側には別の航海者や神学者、画家などのいるもう一つの発見のモニュメントがありました。
 そしてこの発見のモニュメントは大西洋に向かって(西側)立っているのかと思ってましたが、実際にはテジョ河の対岸(南側)に向かっているのでした。
西側の有名な方

こちら側にもいました

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