行程
全32日間の行程は以下の通りです。自転車での走行距離は地図上の推定で、実際には千キロは超えていると思います。
1 5/20 マルセイユ空港→マルセイユ
2 5/21 マルセイユ→シオタ(チャリ)[50キロ高低差320m]シオタ→ツーロン(鉄道)ツーロン→イエール(チャリ)[25キロ高低差70m]
3 5/22 イエール→フレジュス(チャリ)[85キロ高低差130m]
4 5/23 フレジュス→カーニュ・シュル・メール(鉄道)
カーニュシュルメール←→ヴァンス(チャリ)[20キロ高低差300m]
5 5/24 カーニュ・シュル・メール→マントン(鉄道)
マントン→サンレモ(チャリ)[36キロ高低差170m]経由地ヴァンティミリア
6 5/25 サンレモ→インペリア(チャリ)[30キロ高低差200m] インペリア→スポトルノ(鉄道)
7 5/26 スポトルノ→ジェノヴァ(チャリ)[63キロ高低差82m]経由地サヴォナ
8 5/27 ジェノヴァ→Recco(チャリ)[20キロ高低差75m]Recco→スペッツィア→マッサ(鉄道)
9 5/28 マッサ→ヴィアレッジオ(鉄道)ヴィアレッジオ→ピサ→ルッカ(チャリ)[43キロ高低差19m]
10 5/29 ルッカ→エンポリ(チャリ)[52キロ高低差70m]経由地モントポリ
11 5/30 グラナイオ→シエナ(鉄道)
12 5/31 シエナ→ブエンコンヴェント→サン・クイリコ・ドルチァ(チャリ)[50キロ高低差230m]
13 6/01 サン・クイリコ・ドルチァ→アレッツォ(チャリ)[65キロ高低差276m]
14 6/02 アレッツォ→フィレンツェ(鉄道)
15 6/03 フィレンツェ→ボローニャ(鉄道)
16 6/04 ボローニャ→レッジオ・エミリア(チャリ)[64キロ高低差25m] 経由地:モデナ
17 6/05 レッジオ・エミリア→ピアチェンツァ(鉄道)
18 6/06 ピアチェンツァ→ミラノ(鉄道)
19 6/07 ミラノ市内[30キロ高低差0m]
20 6/08 ミラノ→クレモナ(鉄道)
21 6/09 クレモナ→マントバ(チャリ)[77キロ高低差31m]
22 6/10 マントバ→ヴェローナ(チャリ)[45キロ高低差56m]
23 6/11 ヴェローナ→ヴィチェンツァ(鉄道)
24 6/12 ヴィチェンツァ→パドヴァ(チャリ)[59キロ高低差26m]
25 6/13 パドヴァ→トレヴィソ(チャリ)[68キロ高低差13m]
26 6/14 トレヴィソ→ウディーネ(鉄道)
27 6/15 ウディーネ→モンファルコーネ(鉄道)モンファルコーネ→トリエステ(チャリ)[43キロ高低差82m]
28 6/16 トリエステ2日目[14キロ高低差185m]
29 6/17 トリエステ3日目[33キロ高低差300m]
30 6/18 トリエステ→メストレ(鉄道) ヴェネチア
31 6/19 メストレ2日目 ヴェネチア
32 6/20 ヴェネチア空港→パリ経由→成田(6/21日本時間)
チャリ総走行距離 972キロ
この中で予定として決まっていたのは、航空券の関係で5月20日マルセイユ・プロヴァンス空港から走り始め、6月20日ヴェネチア・マルコポーロ空港から帰るという入口と出口だけで、あとはおおまかにコートダジュールに沿ってイタリアに向かって走り、陸路イタリアに入り、イタリア・リヴィエラ(或いはリグリア海)沿いに進み、ピサ辺りから内陸に入っていく。そしてシエナ、トスカーナ、ボローニャを通り、アドリア海に出てイタリア最東端のトリエステをめざすという程度です。
結果的に、フィレンツェやミラノなどの観光名所を入れてしまいましたが、街並みという観点からすると、大都市は期待したほどのことはなく、むしろ中小都市のほうがコンパクトにまとまった街づくりがされているという印象が強かったです。
また鉄道の利用は当初から想定はしていましたが、これだけ頻繁に使ったのは想定外でありました。フランスでもイタリアでも鉄道に自転車をそのまま持ち込めることは、それぞれの国鉄のホームページなどから承知していましたが、初めから鉄道利用を決めていたのはジェノヴァからスペッツィアの間に長いトンネルがあり、これを回避するためでした。しかし最初の日に劇的な形で鉄道利用によって迷路から脱出できたために、その後すっかり苦しいときの鉄道頼りが定着し、鉄道のキロ数を調べる手立てがないため推定ですが、自転車の半分の500キロ位は乗っているのではないかと思います。
チャリ走行
GIOS(カンパ・ヴェローチェ仕様)は往きの時には、ネットで購入した「輪行箱」という段ボール箱(5千円程度)に入れて運びました。マルセイユで開いたとき、ペダルの先端が段ボール箱の側面に小さな穴を開けていましたが、本体に損傷もなく組み立てができました。ただ、羽田で重量は規定内だが、サイズが規定オーバーなのでということで15000円払わされました。
マルセイユ空港で出発前。後ろに輪行箱があります |
ついでに戻りの時には、航空会社は、段ボールの箱に入れてくださいと言うので、旅先でどうやって段ボール箱を調達すればいいの?と聞くと絶句していました。自転車屋で空箱を譲って貰ったら、といわれたらその段ボールを抱えて空港まで自転車でどうやっていけばいいのか教えてもらいたかったが、話しは続きませんででした。これは日本で航空会社と電話で話したときの状況です。結局輪行袋に収めた自転車で梱包については何も言われませんでしたが、100ユーロを払わされました。そして日本に戻り開いて見ると、ハンドルについているブレーキとシフトレバーが一体となった部分がひん曲がり、ハンドルに巻いてあるバーテープが何かに激しくぶつかったためか、途中で切れそうになっていました。でも致命的なダメージはないのでまずまずであったと思っています。
走行については、一日100キロ程度を平均18キロ程度で走るのは、もう20年くらいやっているので特別なことではないのですが、2008年以来心房細動による不整脈があり、2011年と12年の2回、カテーテルアブレーション手術を受けました。この手術は心筋で発生する不規則な拍動の原因となる発生源を囲い込むようにカテーテルで焼灼するもので、今年5月に80歳でエベレストの登頂に成功した三浦雄一郎が過去に4回同じ手術を受けていることで知られているものです。私の場合も、まだ期外収縮が残っていて時々違和感を感じることはありますが、4月の一年後検診で、もう通院しなくてもいいということになり、今回の南欧自転車旅でどこまで大丈夫かを試そうという思いもありました。
出発前の想定では、一日80~100キロを平均速度20キロ位で走るつもりでした。東京近郊で走っている分には、特に過大な想定とは思えなかったのですが、実際に走ってみると一日とか二日とか走るのなら可能かもしれませんが、毎日これだけの距離を走るというのは自分の体力では無理であることがわかりました。何よりも苦しいだけで楽しめないのです。ある程度までは修行としてガマンしようと思いましたが、メシが食えない(これは食欲がないということと食欲はあっても現地のメシを受け付けないという両方のケースがありました)、眠れないで体が疲弊していくのが鏡を見るとはっきりしてくるため、何とかする必要がありました。それが自転車と鉄道のハイブリッド利用です。これはNHKBSの火野正平の「こころ旅」で頻繁に使われるやり方です。これによって次にどこまで行くか(=ホテルの予約)を決めると、大体のルートを「TopoProfiler」で調べると、距離だけでなく高低差もわかります。またミシュランの地図ではトンネルの有無と大体の長さもわかります。これらの情報をもとに鉄道が使えるかどうかも確認し(ミシュラン地図で駅を確認し、イタリア国鉄のHPから乗車駅と降車駅を入れると、時刻表と料金が出てくるのでそれで間違いなく鉄道が使えることがわかります)、目的地までの行き方が確定します。
こういう走り方が定着したことで、旅を無理なく続けていくことができるようになりました。
旅のパートナーのチャリユキ君(GIOS)はイタリアブランドの台湾生産の自転車でしたが、今回イタリアでは同じブランドの自転車を一度も見ませんでした。ロードレーサー(ローディ)が乗る軽さと速さを重視したカーボンフレームの自転車ではなく、クロモリというスチール系の自転車で街乗りに適したもので、日本国内では最近すごく増えていますが、本国では存在感が薄いメーカーのようです。でも約千キロの走行でトラブルはパンク1回だけ、メカの信頼性は抜群でブレーキの音鳴りや変速機の歯車とチェーンのこすれによる異音など全くありませんでした。これはカンパニョーロというイタリアのメーカーによるコンポーネンツのおかげでした。自転車に対する理解はすごく進んでいて、自転車の持ち込みを迷惑がったホテルは一軒だけで、あとはどんなに古いホテルでも自転車はちゃんと保管してくれました。こちらからすると部屋に持ち込めるのが理想的ですが、エレベータが小さくて自転車が乗らないとか階段を上り下りしなければならないなどの事情があり、部屋に持ち込めたのは4回に1回くらいでした。
でも道を走っていて、ローディたちに会うと挨拶するのはとても気分がいいもので、同志という感じになります。ローディたちの速度はかなり速くて、こちらは平地で巡航速度20キロ、速度を上げて25キロくらいですが、彼らはその10キロ増しくらいで走っています。多摩川のサイクリング道路でもこれだけの速度で走っている人は少ないのではないかと思います。しかも同じジャージを着てグループで走っている人が多いのですが、3,40代が中心でも、60代、70代とおぼしき御仁が混じっていて、同じ速度ですいすいと走っています。年寄りの走り屋が多いのは、非力なこちらは参ったと言うしかないのですが、いい刺激にはなりました。ついでにいうとこれは男性だけでなく、70歳前後の女性が集団で走っているのを目撃したときには驚愕し、カメラを取り出そうとしましたが、その時にはもう先に行ってしまってました。
やっと総括が始まりましたね。疲れがとれて日本の酷暑の気候とじっとりとした文化にも少しは慣れましたか。自転車+列車はヨーロッパでは定着しているようでこれなら安心というものですね。もっとも、ヨーロッパ人の体格とエネルギーで自転車がなくてもちょっと大きな荷物は彼等に助けてもらったこともしばしばで、列車旅行も1人では大変でした。欧州自転車文化論は十分書けそうですね。町並み論はこれからでしょうが、中小都市の話だと思っています。
返信削除ずっと音沙汰なしだったので、
返信削除これは本でも出そうとしているんじゃないかと
思っていました。
書きっぷりを見ると、すっかり疲労も回復したようだね、