2014年7月4日金曜日

南イタリア自転車ぶらり旅(第二十九日)

第二十九日 7月2日 帰国

 本日無事帰国致しました。成田空港に降り立ったときの蒸し暑さを感じたときに、日本に帰ってきたんだと実感しました。そして今回の南イタリア周遊で気づいたことをランダムにまとめてみましたた。

①南イタリアは思ったより大きかった

 今回の南イタリア周遊は自分の距離的な認識が甘かったことが露呈するものであった。つまり、南昨年のマルセイユからトリエステまでの一筆書き旅行と比べると距離がずっと短いという認識があった。長靴のつま先からかかとまでの距離が400キロ以上もあるとは思わなかったのだ。シシリア島の大きさも四国より大きく九州より小さいのだから島ではなくこれだけで一国でもおかしくないぐらいの大きさであった。鉄道の多用もこのようなスケール感を克服するためにやむをえなかった。

②五月と六月では相当気温の差や陽ざしの強さが違う

 昨年は一日だけ雨に降られたが、今回の29日間一度も雨にあっていない。この間、日本では梅雨に入り、晴れた日の方が少なかったのではないか。雨が降らないだけでない、陽ざしのきつさも尋常ではない。頭がくらくらするような厳しさで、ホテルなどの部屋に入っても、窓などの開口部をよろい戸で8割くらいふさいでいるところが多い。まともに日の光を部屋の中に入れたら、まぶしくて堪えられない。今回偏光サングラスを2本持参したが、幸い1本もなくすことなく旅を終えることができた。ただ素晴らしいと思ったのは湿気がないので、木陰に入ると爽やかで本当に気持ちがいい。昨年よりも期間を半月ずらしたのは正解であったが、陽ざしのきつさと暑さに長時間走ると大量の水を消費し、体力を奪われるというマイナス面があったことも否めない。

③イタリア男性はマッチョが多い

これはイタリア男性は身長こそ日本人と比べても同じか低いぐらいなのだが、しかし全体的に胸板が厚く、腕も太くしっかりしていて、肉付きがいいことに驚いた。無論いわゆるデブ体型もいないわけではないが、おしなべてマッチョなのを確認した。これは食べ物のせいなのか、筋トレが非常に普及しているのかどちらかであろう。

④背中の荷物は7キロでも重荷であった

 今回は。少しでも軽量化できるよう昨年以上に持ち物を厳選した。しかし結果的に昨年とほとんど変わらず、この7キロのバックパックを背中に背負って、50キロ走るのは大変であった。そこでできるだけ早くその日のホテルに到着し、チェックインができれば部屋にバックパックをおいて、チェックインができないときにはデポジットして、カメラだけを持って出ると本当に身軽に動けるのである。

⑥地域的な差は結構大きい

 イタリアの南北格差が大きいことはずっといわれていることであるが、州による地域的な差も結構大きいことがわかった。街並み探訪の観点からも、州による違いがあるようでいい街並みが多い州と、あまりそれが期待できない州がはっきりしているように思った。

⑥イタリア語の聞き取りはむずかしい

 地方を走っているとホテルやリストランテなどでも英語が通用しないところが多くある。だから何をするにしても多少はイタリア語を並べて云うと、当たり前のようにうまくいくことが多い。ところが人々が話すことやテレビから流れてくるイタリア語は全くといっていいほどわからない。イタリア語には独特の単語が多い。語尾の変化が厄介である。だからヒアリングも文章を読むのも大変むずかしいと感じた。語学センスがないと云われればその通りなのだが。

⑦街並み探訪の成果は

 今回よい街並みに出会えた街は、チボリ、テルモリ、アルベロベッロ、オストゥーニ、ブリンティジ、レッチェ、ノート、パラッツォ・アドリアーノ、エーリチェでした。これらは一眼デジカメで撮った写真が多数ありますので別の機会にご紹介できたたらと思います。

 以上長期間おつきあいしていただいた方々にはお礼を申し上げます・

 

2014年7月2日水曜日

南イタリア自転車ぶらり旅(第二十八日)

第二十八日 7月1日 ローマ市内

 折角のテルミニ駅近くのホテルであったが部屋がひどすぎた。扉を開けると4,5段階段を下る。窓は小さな丸窓が一つ高いところについている。テレビはブラウン管式は何回か経験しているが、スイッチを入れてもうんともすんともいわない。結局前夜はテレビは見ることができなかった。今朝コンセントがゆるい感じがしたのでその辺を調整してみると赤いランプがつき一応うつった。夕べはテレビよりも初日に問題だったwifiルーターが、不調でそちらに費やされた。いろいろやってみたが結果的にダメで、”3”の店で見てもらうことにした。

 今日のホテルへの移動途中で折良く店は見つかり色々やってみたが、結論はwifiルーターが壊れているという結論であった。何故ならSIMカードを別のwifiルーターに挿してみたらちゃんと動くからSIMカードに問題はないという明解なものであった。今日明日の二日間だけであるからなしでもなんとかなるだろうあきらめる。それにしてもローマに着いたときにはSIMカードに問題があり、それで何とかしのいできた。が、今度は本体に問題が発生したのであるから困ったものである。昨日街を歩いていてきがついたのだが、こちらでwifiルーターを借りるという手があるのだが、一日1ギガ使えるプランで一日4ユーロ(560円位)と割安である。もっともSIMフリーのルーターを購入して、現地でSIMだけを購入すると更に安くなるし、返還の手間がないので一番いいかもしれない。

 ホテルはまだ時間が早いのでチェックインできないので、自転車とバックパックを預けて、ポポロ広場、ナボナ広場まで徒歩で移動。多少観光らしきことをして午後を過ごす。歩いていても長時間になると座りたくなるのだが、カフェみたいなものはあっても公園のベンチみたいなものが見つからない。アメリカの団体さんは案内者がワイアレスで説明しながら、街を通っていく。このやり方は日本が開発したのではないかと思うが、今やあたりまえになっているのですね。それにしても日本の団体さんには会わなかったですねこの1ヶ月間。帰りはタクシーに乗ってホテルに戻りました。

 早々に自転車を輪行袋に収め帰国の準備もほぼできた。最後の食事はホテル近くのリストランテでフィレ肉のステーキを食べました。

本日の走行距離   9キロ
本日の鉄道移動距離 0キロ

<本日のホテル>
ローマ
Grand Hotel Fleming☆☆☆☆
41ユーロ(朝食10ユーロ、wifi6ユーロは別)

このホテルはパレルモの二日目と同じ水準である。気分よく寝られそうだ。

2014年7月1日火曜日

南イタリア自転車ぶらり旅(第二十七日)

第二十七日 6月30日 ローマ市内

 ホテルのあるエウル(EUR)地区は、ローマ市内でも新しく開発された建物が多い。イタリア郵便局の大きな建物があったり、瀟洒なマンションがあったりと遺跡や古い建物が多い都心とは趣が異なる。そんな一角で完成間近なビルがガラス張りで透明感が高いビルとミラーガラスの建物二棟から構成されている。オフィスビルではないかと思うがどういうビルかは不明。
ガラスに映った住宅は取り壊し中
昨日のホテルは値段的には満足であったので、延泊を申し出たら90ユーロならと強気に出てきたので、テルミニ駅近くのホテルを予約してそちらへ移動する。その途中にローマ遺跡である壁の下のアーチを大きな道路が抜けている。まさかクルマが出現して道を走るという事態を想定していたはずはないのだが、何かそのためのアーチとしてつくった感じがするほどピッタリと合っている。
上は水道橋?この壁の中へ入ると空港までのタクシー料金が定額になる

 そしてコロセウムも毎日のように通っているが、相変わらず観光客で一杯である。そしてホテルに荷物と自転車を置いて、街歩きをしていて撮影したものが次の二枚です。レピュブリック広場から出ているナチオナーレ通りの建物群と道の真ん中にはわせた植物のカーテンで道の半分位を覆っている景色である。
いろいろな様式の建物が混在する
すだれのようなのがやや不気味

本日の走行距離   14キロ
本日の鉄道移動距離 0キロ 

<本日のホテル>
ローマテルミニ地区
Hotel Fiamma
48ユーロ






2014年6月30日月曜日

南イタリア自転車ぶらり旅(第二十六日)

第二十六日 6月29日 ラティーナからローマまで

 土曜日にもかかわらず自分の他に一組の客がいるかどうかであろう閑散としたホテルを去って、ラティーナの街を一回りして駅を目ざす。その時、目についたのが日本のゼネコンが設計したのではないかという愚直なまでにステディーな超高層アパート。昨日の高層スケルトン状態の放置ビルとは対照的に居住者もいるみたいである。
見慣れた景色だがなぜラティーナで超高層アパート?

 途中でローディ数組とすれちがった。アッピア街道との交差点でアッピア街道を撮影してみた。松並木など昨日のラティーナ駅への道と変わらないのがわかるでしょう。昔はあの走りにくい石畳だったのだと思います。当時はアスファルトがなかったので石を張るしかなかったのでしょう。舗装しないで土のままだと雨天でぬかるむと泥がしつこくへば
りついて後で苦労するので、幹線道路を石張りするのは当然だったのです。
これがアッピア街道 末端はブリンディジ(第九日参照)
 ラティーナからローマまで62キロ、レッジョナーレという地方線の鈍行はこの距離を30分くらいで走りきります。今日iPhoneのアプリで、GPSを使って速度が測れるアプリを試してみました。ぐんぐん速度を上げるとなんと160キロを超えています。新幹線と同じ軌道幅の線路ですから、そのくらいの速度を出しても不思議ではないかも知れませんが、でもほぼ各駅停車というと早過ぎないかという気になるのです。ということで、ラティーナから30分でローマテルミニに到着です。
 ホテルは地下鉄B線の終点Laurentinaからすぐのところなので、ナビに頼って市内を走るのですが、ナポリほど石張りの道がないので楽です。1時間くらいでホテルに到着しましたが、3時以降にならないと部屋の整備が完了しないので、それまで荷物と自転車を倉庫に預けて、地下鉄に乗りました。
 知ってる駅はテルミニとスペイン広場の最寄り駅スパーニャくらいなので、取りあえず観光客の定番スペイン広場近接のスパーニャ駅で降りる。というか、地下鉄に乗ってる客の半分近くが降りる感じ。スペイン広場は35,6年前国際開発センターに出向当時の北アフリカ調査のときに寄って以来だが、その時スペイン広場やトレビの泉を見た記憶がある。今回は街並み調査ということでバロック建築が残っている一角なども除いてみようと思っていたのです。
スペイン広場から5分ぐらいの所


本日の走行距離   22キロ
本日の鉄道移動距離 62キロ

<本日のホテル>
ローマ
Hotel American Palace Eur
38ユーロ
この値段は今回の旅行の最安値かな?



2014年6月29日日曜日

南イタリア自転車ぶらり旅(第二十五日)

第二十五日 6月28日 ナポリからラティーナまで鉄道移動。

 午後の列車に乗る予定なので午前中ナポリ市内を回る。どこへ行っても最初に感じた印象は変わらない。8割以上の道路を石張りしてくれているのでともかくチャリでは走りにくい。押して歩道を歩く方が気が楽である。そういう状況の中、何とか昼にはナポリらしいピザを食べたいと今度はナポリ中央駅周辺を探す。どうもぴんと来る店がない。どの店にも客がいない。客がいないということはあまり人気がないということになるのだが、人だかりがしているピザ屋なんて見て回った限りではない。
 ピザ専門店で1950年創業だから、60年以上やってきたのだから客を途絶えさせないものをもっているはずだという怪しい仮説の下、ソフィアという名の店に入った。外で客寄せしているおじさんが自転車は俺が見張ってるから安心して食べられるよという誘いに乗ってしまったといった方がいい。店に入ってわかったことは、ソフィアとは往年の名女優ソフィア・ローレンから頂いていることで、これは期待できるかな、と思ったが、結果は普通でした。いままでイタリアで食べた一番美味しいと思ったピザは、昨年の南欧自転車ぶらり旅で昼に食べたエンポリのピザであったが、それには遙かに及ばず。生地は厚さはまあ薄いけどトマトソースがたっぷりのっているのはいいが、肝心のアンチョビなどがほんのちょっとしか載っていない。ほとんどトマト味で食べる感じで、シシリアンという名に恥じるのではとおもった。


 本日の宿泊地のラティーナはナポリとローマの三分の二ぐらいのところで、ローマまであと60キロちょっとというとろにある。明日ローマまで列車で一時間程度で到着できる。ラティーナについては何の知識もないが、地図を見ると中心部が道路で囲われているので、古い時代の壁などが残っているかなと思ったが、ここ100年以内ぐらいに都市的な形を成したと思われる街で、古いものは殆どなく、道も車の通行を前提にした幅員で統一されており、路地がない。ローマの大学の分校のようなものもあり、街の大きさに比して立派な病院がある。メインストリートのブティックなども品のいいものがショーウィンドーを飾っている。
アッピア街道と同じ松の並木
ラティーナのメインストリート
一番印象に残ったのは、低層部は一流の銀行などのテナントが入り活用されているのだが、高層部がスケルトンで最上部の数回だけ外装まで施したあと工事をやめてしまっているビルである。この国には住宅だけでなく工場などもスケルトンまで造ってあとはそのままという建物をあちこちでみかけたが、オフィスビルの高層部だけを放置しているのははじめて見ました。
やけに細い柱が気になるがセンターコアで支えているようだ

上の何層かで最終的な仕上げの形がわかる
途中階の床版はむきだしのまま

本日の走行距離    26キロ
本日の鉄道移動距離  153キロ

<本日のホテル>
ラティーナ
Hotel De La Ville Centrale ☆ ☆ ☆ ☆
49ユーロ



2014年6月28日土曜日

南イタリア自転車ぶらり旅(第二十四日)

第二十四日 6月27日 ソレントから電車でエルコラーノまで。エルコラーノからチャリでナポリ市内へ。

 朝起きたら、ソレントの空に黒い雲がかかっている。急いで移動を開始しようと、朝食を食べてすぐ出発。幸い駅に着く頃には黒い雲は消えていた。そこから電車でエルコラーノまで移動。この電車は昨日も混んでいたが、今日も椅子が埋まり、立っている人も少なくない。チャリを車掌さんの指示で出入り口の脇の手すりにくくりつけてうまくおさまってくれたので、昨日のような気の使い方をしなくて済むので助かった。
 エルコラーノで昨日のポンペイに続いて遺跡を見て回る。ここではバックパックを預かってくれたのでこれも助かる。炎天下、背中に重荷を背負って移動するのはかなり過酷なので、こういうシステムがあることはいい。

 遺跡としてもポンペイよりも制限区域が少ないので、いろいろの所を見て歩けるので、こちらの方が当時に思いを馳せるにはいいかもしれない。中には当時の壁画でかなりよく残っているものもあった。ただ生活の痕跡を色濃く残した遺跡はここではないようだ。
今の街よりも大分低いレベルにあります
古代の道はポンペイと同じ?
構造物としての存在感がある

 エルコラーノからナポリまでは10キロ弱だからたいした距離ではないのだが、目地が埋められていないピンコロ石を張り詰めた道路に悩まされる。自転車のわっぱをとられないように注意深く先を見ながら走るのだが、間断なくクラクションを鳴らしてくるクルマも意識し、道路のくぼみやLRTの線路にタイヤを挟まないようにとかあれこれ注意事項ばかりがあって気が緩められない。ピンコロ石張りの道から解放されたのはナポリ市内の僅かな区間だけで、8割から9割は振動がハンドルを通して手に来る石畳の道であった。クルマにとっては石畳なんて平気なのだが、自転車には難敵であった。

 ナポリは今はちょっと割り込んでいるようだが、100万都市だけに街も大きいし、人も多い。南の都市の中でも活気が違う感じだ。食い物の事情などもいいが、どういうわけが本場であるはずのピッツァリアに出会わない。できたものを売っているのでなく、注文を聞いてから生地をつくって具を盛り込み焼くところまで一気にやる店がいいのだが、そういう店がここトレド通りという繁華街を半径500メートルくらいの範囲で探してもないのだ。生地が薄くて1分足らずで焼き上がるピザが一番美味いと思うのだが、なかなかむずかしい。
 そして街並みというか、ナポリといえば狭い道の両側に7,8階建ての集合住宅が建ち並び、そこから洗濯物が翻っている景色がなじみ深いが、確かにトレド通りを山側に折れるとどの道もそういうナポリの名物景色がそこにあった。街並み的な評価はおいておくとして。
山側の街並み
国旗はWカップ対応

本日の走行距離    20キロ
本日の鉄道移動距離  20キロ

<本日のホテル>
ナポリ
Hotel Principe Napolitano
49ユーロ



2014年6月27日金曜日

南イタリア自転車ぶらり旅(第二十三日)

第二十三日 6月26日 サレルノからポンペイまで列車、ポンペイからソレント半島Vico Equenceまでチャリ、Vico Equenceからソレントまで電車

 今日は曇り空。テレビの天気予報では、この地区のマークは曇りだが、雷の稲妻マークと雨もはいっているので、レインウェアをザックの最上部に移動する。雨が降ったら可能な限り速やかに鉄道移動に切り替える方針。

 まず、ポンペイで遺跡を見る。10ユーロの入場料を払う。中は写真の通り両側を石積みの壁があり、そこから家の中を垣間見ることができるが、一部を除けば中の壁も石積みである。さすがに観光客が多いが、正直予想通りのものがそこにあって、それ以上のものはない。大粒の雨がぽつぽつと落ちてくるが、それ以上降らない。空は太陽が出ていて雨雲は確認できない。
古代の街並み?
ポンペイからソレント半島を奥へ進んでソレントを目ざす。ナポリ湾が見える側を走るのだが、ビスビオス火山がよく見える。アップダウンはそんなにきついわけではないが、また曇り空になり、何か降りそうな雰囲気もあり、運良く駅があったので切符を買ってしまった。電車は結構混雑しており、観光客が多いのだが、自転車を置く場所がなくて神経を使った。
ナポリ湾に浮かぶベスビオス山
これはイタリアでは相当な混雑です
ソレントはピーカン。昼飯にハンバーグを挟んだパニーノを食べる。そしてホテルまでチャリで移動。リゾート地の雰囲気はあるが、一番の売りは直立する崖の上に広がる街の風景か。これはアマルフィやポジターノも同じであろう。
遠目に見るのがいい
 ソレントのホテル近くの名もない両側壁の街並みの写真を載せますが、両側壁の街並みはポンペイみたいであり、リゾートにふさわしくないものでしたがそんなに悪くないかもしれない。
落書きがマイナスである

本日の走行距離   27キロ
本日の鉄道移動距離 40キロ

<本日のホテル>
ソレント
Hotel Spicy
47.79ユーロ
リゾートはホテルが高くてまいります。このホテルは圧倒的に安価でしたが、でもちゃっんとしたリゾートホテルの雰囲気を出しています。





2014年6月26日木曜日

南イタリア自転車ぶらり旅(第二十二日)

第二十二日 6月25日 メッシーナからビラサンジョバンニまでフェリー、そこからパオラ、サプリを経由してサレルノまで

 列車移動二日目。メッシーナ発10時15分のフェリーに乗る。イタリア国鉄の子会社が運営しているラインである。自転車料金7ユーロを払えば人の料金は不要である。シシリア島に入るときに乗った快速艇の切符売り場で自転車をそのまま乗せたいならサレルノに行けといわれてビラサンジョバンニの国鉄のフェリーを教えられなかったのは商売敵なのでいやだったのか。

 速度は遅いが、対岸までの距離は短いので快速艇とほぼ同じ時間の30分でイタリア半島に上陸。ビラサンジョバンニの街を一回りしてみたが、街の名称から期待するほどの街並みには出会えなかった。
フェリーの船内と対岸のイタリア半島
ビラサンジョバンニからイタリア国鉄のレッジョナーレ(鈍行)でサレルノまで406キロは今回3番目に長い距離で、二日間で833キロと鈍行だけの鉄道移動としては異常なほどの長さである。
 しかも乗り換えが2回あったが、そのうち最初の1回は乗り換え時間が5分しかない。しかもその列車が既に遅れており、普通に行けば間に合わないのであるが、たまたま英語ができる顔はおっかないが親切な車掌が次の列車を待たせてあるのでパオラで1番線に急いで乗りかえてと云いに来てくれ、何とかうまくいった。運転者にもハッパをかけていたみたいで途中すごいスピードで走るので大丈夫?と心配になるほどであったがよかった。
 そしてもう一回の乗り替え地サプリではやはり街を一回りした。
小綺麗な街並み(サプリ)


 最後のサレルノまでの列車が、一つ手前の駅で停車したまま動かなくなる、車掌も運転手も携帯で電話連絡しているが、なんで動かないのかわからない。わからないまま20分程で動きだしてサレルノに無事到着というわけである。列車移動も疲れるし、なによりも達成感がないのでモチベーションが落ちるのが問題だ。ただ、サレルノまで来るとカンパニア州でナポリ圏に入っているので移動距離も少なくて済むだろう。
人口12万人のサレルノのメインストリート 車は入れない

本日の走行距離    10キロ
本日の鉄道移動距離 406キロ

<本日のホテル>
サレルノ
Salernoprestige
42.35ユーロ



2014年6月25日水曜日

南イタリア自転車ぶらり旅(第二十一日)

第二十一日 6月24日 トラパニから列車でパレルモ経由でメッシーナまで

 今日と明日は完全なる移動日になるだろう。今日はトラパニから列車に乗ってパレルモへ。外を見ててもわからないのだが、現在位置がわかるミシュランの地図をiPhoneで見ていたら、昨日トラバニに代替バスで入ったルートと全然違うコースを走っている。トラパニから南下してマルサラを通り、更に南下、そしてカステルベトラーノなる聞き慣れない駅に停まり、昨日バスに乗った駅に戻り、昨日と同じルートになってパレルモに入った。要するにイタリア国鉄の最南端ルートを一周したということで、パレルモからメッシーナまでは海岸線をひた走り、結局メッシーナに到着したのは17時20分であった。出発が9時38分であるから丸一日列車に乗っていたことになる。切符に刻印された距離は427キロであった。
 シシリアは今日でおしまいですが、いろいろ考えることが多かったシシリア島一周でありました。

本日の走行距離   7キロ
本日の鉄道移動距離 427キロ

<本日のホテル>
メッシーナ
B&B Villa Dante

45ユーロ

2014年6月24日火曜日

南イタリア自転車ぶらり旅(第二十日)

第二十日 6月23日 パレルモからAlcamo Diremazioneまで列車移動、Alcamo Diremazioneからトラバニまでバス移動


 トラバニはシシリア島の西の端にある。ガリバルディがイタリア統一のためジェノバからシシリアに入ったときの港がここといわれている。途中でバス輸送にかえられたが、それほど僻地ではない。人口7万人でイタリア全体で79位である。午後一時半頃トラバニに到着し、ホテルに荷物を置いてチャリでロープウェイの乗り場を目ざす。ロープウェイは小ぶりで制限重量640キロであるが、次から次にやってくるので、悠々一人で乗れる。自転車を伴って乗るつもりであったが、チャリユキは預けてしまった。乗ってる時間は20分くらいか、結構長いし揺れる。しかし眺めは最高でトラバニがジオラマのように広がる。そして地中海の青と少し碧がまじった海の色。
トラバニと地中海が一望です
エーリチェは標高800メートル、街中でほぼ同じ意匠の舗装が施されている。大理石のように艶のある石であるが、細工された上で舗装されているから見事である。チャリユキでは滑るし走りにくそうで置いてきてよかった、もうこの舗装は徹底していて、ノートなどと比べても圧倒的である。建物も1500年代に建てられたものもあるが、保存管理状態は良好で古さを感じない。少し肌色が入ったような柔らかい壁の色と計算されたように効果的な色の褪せ方がマッチして素晴らしい。ロープウェイが出来たのは最近のことだからそれ以前のエーリチェが今に残っているのだが、人間の営為の素晴らしさに感動する。やはり街並みは道が決め手であるということが再確認された。
この舗石の並べ方が基本です
帰りもロープウェイで戻ってきて、トラバニの街を探訪してみた。ここはここで歴史中心地区は街並みを意識した整備が成されていた。だが、エーリチェを見てきた後なので個性をどう出すかという点が気になった。
ちゃんとまとまっています
エリーチェと似ているようだが全然違う舗装
本日の走行距離   12キロ
本日の鉄道移動距離 195キロ

<本日のホテル>
トラバニ
Casa Trapanese
49.5ユーロ



2014年6月23日月曜日

南イタリア自転車ぶらり旅(第十九日)



第十九日 6月22日 パレルモ二日目

 パレルモ在住の若き医師と昨晩未明に連絡がつき、今日午前中に私をピックアップして、一日案内をしてくれるという幸運に恵まれた。
 ホテル前に現れたのは若きイケ面医師で、看護師をしているパートナーと一緒という。とりあえず自転車をフレームとホイールに分解し、フォード・フォーカスの後部に収める。まず出かけたのは伝統的なシシリアのマーケット。地元の人が地元の食材を道路上で売っている。見たことがない野菜があるが、食べると美味しいという。今日は日曜日なので出店している店も少ないし、客の数も少ないという。魚貝を扱う店が出ていなかったので、別の所へ移動すると、マグロを解体して売っている屋台が一台出ている。地元の人だからここがわかるのだが、普通はこううまくはいかない。手のひらを広げたくらいの大きさのマグロの赤身を切り身で購入。そばに中トロや大トロのお宝的な部位もおいてあったが、店の人はこれはうまいところだよと押してくれたせいか、あるいはおまけか大トロの切り身が加わった。そのあと貝を扱う店があるというので、そこは固定店舗であったが、ハマグリのような大きな貝とボンゴレにするからとアサリ、そしてムール貝を小さくして先っちょに毛が生えた名前がわからない貝を購入した。
 そしてこれらの食材を医師の実家に行き、マンマがパートナーと協力して料理してくれるというのだ。パレルモの庶民の手料理がいただけるなんて素晴らしい。
若き医師とチャリ爺のツーショット
出てきた料理は、スパゲティボンゴレ、貝の盛り合わせ、野菜をトマト味で煮付けたもの、ハムやサラミの盛り合わせ、それに手のひら大のマグロの切り身を塩焼きにしたものと超豪華。午後の二時ぐらいから三時半か四時近くまで食べたので、夕食はもう入らないという状態。店で食べるよりも明らかに美味しい。その後ケーキとチェリーをデザートにいただきエスプレッソを何杯もおかわりさせていただいた。マグロの大トロとシチリア独特の野菜は出て来なかったようです。あとパートナーの女性が生姜のガリを真似たものを作って出してくれましたが、これが美味しくてなマグロのステーキとともに食べてしまいました。
小さい貝はウニみたい、大きなのはハマグリみたい
サラミは日本で食べるものとは別物
野菜の煮込み
食事の後は医師の姪のかわいい子も加わって、パレルモの聖地でもある標高600メートルの頂上に登って下界を眺めました。中世にペストの猖獗が極めているときに自らこの山の頂上近くの横穴にこもってペストの流行がおさまることを祈り、本人は結局命を落とすのですが、聖女として街の守り神になっている聖堂にも行きました。この山に自転車で上ってくる老若男女は引きも切らずで、上り坂大好き人種はどこにでもいるのだと思いました。ただし、若き医師はサッカーや自転車には興味がなく、ワールドカップでイタリアが負けたことも知らなかったという人です。彼は二カ所に仕事場を持っていてその両方に行きながら、医療技術の習得に懸命になっている素晴らしい青年でした。今日が日曜日だったのでこれだけのサービスをしてくれたのでしたが、感謝の気持ちで一杯です。
山の上で
下界を眺めるとこんな感じ

今日の走行距離  0キロ
今日の鉄道移動  0キロ

<本日のホテル>
パレルモ
Mercure Palermo Centro ☆ ☆ ☆ ☆
69 ユーロ





2014年6月22日日曜日

南イタリア自転車ぶらり旅(第十八日)

第十八日 6月21日 カマラータから電車でパレルモまで

 壮絶な急傾斜の街、カマラータからカマラータSGG駅まで下る途中に道を間違えた。引き返す手もあるが、上りがあるので、ちょっと遠回りでも下ってしまおう、とナビが修正した指示通りに進む。ところが鉄道の線路に出たところで、駅とは反対方向を指示して国道に進むルートが提示されている。でもこの道、昨日パレッツォ アドリアーノへ行った時に通った道なのである。実は側道から国道へ出るまでの道がないので、遠回りにはなるのだが、それはそれで正しい指示であったのだ。ところがもっとちかいところで鉄道の線路をくぐり、国道に向かう道があった。ちゃんとした道だし入れるんじゃない、という軽い気持ちだったが、そうは甘くない。国道の下をくぐるときにも接道している道はないかと探したがない。しかたなくもうちょっと行けばなんとか打開できるかなと期待していくと、雨も降っていないはずだがぬかるみがある。これが非常にねちっこいぬかるみで、タイヤやブレーキパッドなどに泥がつく。段々国道が遠くなるようだが、ナビは進めの指示。すると川が前方に出てくるが、橋などないので石ころが出ているところはそこに足場をとるとしても、どうしてもないところがあるので靴のまま水につかる。渡るとナビの指示の道がなくて、風力発電機が立っている山の方へどんどん行く。これはおかしいと元へ戻ることにして、再び川やぬかるみを通って国道への接続点を目ざす。結果的にはこれで正解で駅に着き、電車にも間に合ったのだ。
 このようにナビは旅を続けていくために不可欠なものだが、前にも書いたがwifiルーターで携帯の電波を受信できないとナビとして役に立たないもの(ミシュラン、グーグルの地図など)とSygicのように携帯本体に地図が内蔵されているので電波が来ても来なくても関係ないものがある。ナビとしてはwifiルーターがなくても何とかなるが、それ以外の諸々の外部とのやりとり(イタリア国鉄の時刻表、ホテルの予約、電話連絡はスカイプ等々)が必要になるのでwifiルーターは大事なのだが、どうも安定しないのだ。だから大きな街に行って「3」の携帯電話屋に見てもらおうと思って、今日はパレルモをめざした。

 パレルモの人口は66万人でイタリアでも第5位の大都市である。街並みハンターを自称する小生はこれまでも大都市ではあまり成果に恵まれなかった。道も広い、立派な建物が並んでいる、クルマの数が夥しい。だけど素晴らしい街並みとの出会いはなかなか望めないのだ。今日、半日自転車と徒歩で回ってみたが、結果はやはり他の大都市と同じであった。強いていえば、クアトロ・カンティ(四つ角)と呼ばれるマグエダ通りとエマヌエレ通りの交差点に立つ建物が四つ角に向かっていろいろな像が並んでいる。これもバロック建築なのかもしれないけど、それぞれの建物の用途が違っていて、一つは教会になっている。つまり一人の事業者が同じ意匠で作り上げたというのでなく、建築家は同じかもしれないが、建て主が違っていてそれらをまとめ上げたプロデューサーがいるのではないか。

 世界一有名な交差点は渋谷駅前のスクランブル交差点であるが、パレルモの方も結構有名であるからカメラを持って撮影する人が多い。東京でも京橋の交差点はある生命保険会社が四つの角の敷地をすべて所有しており、ここ何年かですべて建て替えてしまった。建て替えたものを見ると同じ所有者であることを敢えて隠しているように思えるが、パレルモのこんな試みはおしゃれですよ(後の祭りか)。
背中側にも二つあるのでクアトロカンティ(四隅?)
今日は土曜日で休日であったためかマグエダ通りはクルマを全面排除して歩行者天国になっている。どこに行っても小さいクルマが氾濫しているこの国でこの歩行者天国はどのていど普及しているのか知らないが、クルマを閉め出す荒療治はどの街でも必要だと思う。でもこれだけクルマが普及しているから鉄道が通っていない街でも人の行き来は結構頻繁になるというメリットもあるのだが。
 wifiルーターの調子はパレルモに入るとよくなって普通に使えるので、いままでいたところが電波が微弱とかそういう問題もあったのかもしれません。
クルマもいないが人も少ない歩行者天国
今日の昼飯は20ユーロで魚料理のコースが食べられたし、なかなか美味でありましたので写真を載せておきます。
ムール貝のワイン蒸し



いわずと知れたボンゴレ











本日の走行距離   10キロ(仮)
本日の鉄道移動距離 100キロ

<本日のホテル>
パレルモ
Hotel Moderno
45ユーロ

2014年6月21日土曜日

南イタリア自転車ぶらり旅(第十七日)

第十七日 6月20日 アグリジェントからかカマラータSGGまで鉄道移動。カマラータSGG駅からパレッツォ アドリアーノ往復がチャリ走行

 シチリアに入ってからずーと考え続けてきたチャリ走行を実行する日が来た。天気は快晴、今日やるしかないでしょという意気込みで朝から動く。

 パレッツォ アドリアーノは「ニューシネマパラダイス」で映画館のある広場の一角としてロケで使われたらしい。映画館は架空であるが、映画の中の教会は実在しているといわれる。それがここパレッツォ アドリアーノにあるのだ。 ニューシネマパラダイスは監督で脚本も書いたP トルナトーレが30代前半に制作したものである。この映画が大好きなのは、映写技師アドリアーノと映写技師の仕事にあこがれる少年トトとのやりとりにつきる。したがって映画が見たい人々が映画館に入りきれなくて、外の壁に映して喝采を受けるシーンなどが撮影されたであろうパレッツォ アドリアーノに行きたかった。それにこの村はシチリアでも一番行きにくいところにある。この村が今どうなっているのか、街並みはあるのか、もう老人ばかりの村になっているのではないか、実際に行って見ないことには語れない。まずiPhoneのアプリのTopoProfilerによる本日のコースと高低図を見ていただきます。
経験のない高低差


 前半にくる最大高低差481メートルの上りと最高標高が900メートルを超えていることに注目していただきい。ツールドフランスでもカテゴリーが3級、ひょっとすると2級並みの坂である。10%の坂もある。ここの坂は乗車は途中までかなりを押して上がった。押しで上がると時速5キロくらい、乗車だと11キロくらい。そして最高標高の場所が以下の写真である。もう押さなくてすむこの最高標高点がどんなに待ち遠しかったか。以降は割合スムーズに進みパレッツォ アドリアーノについたのが丁度12時頃、所要時間3時間であった。
向こう側で道路が下っている
パラッツォ アドリアーノ遠景
パレッツォ アドリアーノは「ニューシネマパラダイス」好きでなく、街並みハンターとしても訪れてよかったと思える町でした。丁度昼時でしたが、バールなど店屋にも活気があり、老人ばかりなんてとんでもなく、若者、子供なども村を歩き回っています。肝心の広場もいまでも村の中心として人が出ているようです。というよりも、「ニューシネマパラダイス」がらみの掲示やお土産屋などは全くありません。それでもなんか明るくて、元気をもらえそうな村なのです。
はじめて見る舗石の並べ方

教会
こういう街並みが街全体に広がる



 戻りは快調で最後の9キロを残すところまで押しはなかったのですが、最後の250メートルのだらだらした上り坂がもう足が残っていなかったので上れず押しました。そして今日のホテルがあるカマラータに来てこの街の急な傾斜に高密度の住宅にびっくりさせられるが、どうしてこんな場所にこれだけ高密度、高集積の住宅を造らねばならないのかわけがわからない、道など階段かジェットコースターの線路のような急坂です。
これは望遠で撮ったものではありません


本日の走行距離   87キロ
本日の鉄道移動距離 約50キロ

<本日のホテル>
Cammarata
Halykos Hotel
35ユーロ 




2014年6月20日金曜日

南イタリア自転車ぶらり旅(第十六日)

第十六日 6月19日 Canicattiからアグリジェントまでチャリ走行


 Canicattiが標高500メートル位で、今日の目的地アグリジェントは300メートル余であるから、下り基調で行けるので楽かなとおもったのだが、Canicattiを出ると登りである。まあ全体で見ると下りの方が多いかもしれないが、上り下りが続き、最後にアグリジェントのホテルに向かう登りが結構ハードであった。
Canicattiを出てすぐだけど上りです

 途中の町で寄り道して街並み探訪をしてみたが、歩いている人はほとんどが老人ばかりで、これと比べるとCanicattiなど若者や子供も多く活気があったと思った。街並みに特筆することはありません。

街並みはできていない


 アグリジェントは丘状都市の典型で、遠くから見ると丘の上に建物が張り付いていることがわかる。しかし結構新しい建物が多く、中にはここ2,30年の高層住宅もまじっている。全体に雑然とした感じである。
遠目に見ると壮観なのだが
アグリジェントの観光的な売りはギリシャの神殿建築である。町から200メートルくらい低いところにあるから、出来た頃はアグリジェントの町など影も形もなかったからここがそびえるように立っていたのだろう。10ユーロの入場料を払って近くで神殿を見てみたが、アテネのアクロポリスの神殿と比べると規模も姿形も歴然とした違いがあるが、石の色からすると地元の石材を使ってつくったものと思われる。結構観光客も多いのは世界遺産の威力か。道路脇のバールで遅い昼飯を食べました。リゾットだが味がちょっと酸味がありサラダ的な感じがしました。8.5ユーロでかなりの量がありましたが、ほぼ完食です。
ギリシャ神殿
リゾットってこういうのかしら?
神殿からもう一度アグリジェントの中心地区まで坂を上り、途中で迷ってしまって、自転車を担いで階段を登ったりしてやっとホテルに戻りました。
 その後、いつものようにアグリジェントの街並み探訪に出かけましたが、東西はクルマも走れる道ですが、南北は結構急な階段になっていて、年寄りには相当きつそうな町です。住人はアラブ系やどこかわからないがイタリア人以外の人が多いようです。
 街並みの観点からすると、舗装の保存状態は悪くないけど、ともかく華がない感じを否めません。
舗装も建物もパッとしない
階段の方が雰囲気がいい



本日の走行距離    50キロ
本日の鉄道移動距離    0キロ

<本日のホテル>
アグリジェント
B&B Bibirria
51ユーロ