2013年6月19日水曜日

南欧自転車ぶらり旅 第三十一日

 長い間お付き合いいただきありがとうございました。
 本日が最終日で明日朝、ヴェネチア空港からパリ経由で帰ります。

 最初は本当に長くて、このままひと月やっていたら死んでしまうんではないかと思いました。でも、二週間を過ぎると、なんとなく流れが出来てきて、体のリズムが合ってきたように思います。そして最後の一週間は、逆にとても早く感じました。辛いときには時間の進みは遅く、ある程度楽に一日を送れるようになると、早くなるような気がしました。

 今日は最終日なので、優雅にヴェネチアで過ごそうと考えて、美術館を一軒とミシュラン☆一つのレストランでの昼食を考えていました。

 しかしそういう計画はヴェネチアの乗合船の中で、ポケットを探ってもiPhoneが見つからなかったときにすべて潰えました。iPhoneは生命線ですから、絶対になくしてはならないものでした。今日の時点だと地図がなければもう絶望という状態ではないのですが、それでもショックは大きいのです。ただホテルを出てからヴェネチアの島に上陸するまで一度もiPhoneには触らなかったので、落とした可能性と盗られた可能性も考えられますが、ホテルに忘れてきたという可能性もゼロではないと思いました。
 まずはホテルに戻って確認しようと、乗合船を降りて、ローマ広場をめざしますが、どうやって辿り着いたらいいのか分からないので、取りあえず方向だけはわかりますから、そっちの方向にやみくもに路地や橋を移動しました。結果的に客船埠頭のところへでて、そこからローマ広場までは近いので、バスに乗ってホテルに戻りました。

 iPhoneはホテルのサイドテーブルの上にありました。クリーンアップが終わったあとだったのですが、充電した場所にそのままありました。
 いずれにしても最悪の事態は避けられましたが、もう一度ヴェネチア島に戻る気はしません。ともかくバスの中など蒸し暑くて汗がしたたり落ちます。もう一度あの島の中をううろうろする気力はもうありません。
 しかもこのホテルのインターネットは使い放題でなく、二時間で打ち切りという厳しいものなので、これを書き終えると、もう今日はアクセスできないのです。持って行ったWifiのルーターを使えばいいんではと思いますが、マックブックがパスワードを要求してきて、しかも正確に入れても、不正のアクセスとしてつながらなくなっているのです。これはこのホテルのWifiが悪さをしているのではないかと思いますが、他のところでアクセスする機会はないので、これを書いたらマックブックはネットにつなげないことになります。
 ということで、反省やら総括やらを書きたいとも思ったのですが、これは日本に戻ってからにしたいと思います。
 今日のところは、文章だけで写真はありませんが、ご勘弁ください。
 

南欧自転車ぶらり旅  第三十日


トリエステからメストレへ。移動は電車。
この電車に乗るのも今日が最後

 メストレの街中を自転車で回るが、ヴェネチアのゲートシティ的な要素は全くない。普通の街であり、街並みとして取り上げるほどのものはない。たまに歩道に石を敷いてあるところがあっても、コンクリート二次製品(コンクリートをレンガの大きさに固めて色を塗ったもの)を使っていたりして、街並みの阻害要因にしかなっていない。素材の選定は慎重に、できるだけ天然物を使い、どうしても無理な場合にも天然の石を粉末にして、固めて焼結したタイルや石を使ってほしいのだが。
この道がコンクリ二次製品が敷かれている
日本ではどこでも見ますがこちらでは珍しい

この道路は左側に二車線の自転車道路、右側は一方通行。交差点はハンプあり。この道路はいい!

メストレは諦めて、ヴェネチアに行くため、メストレの駅前から市バスに乗った。距離は10キロ程度である。メストレの街はことさら注目すべきものはないが、郊外に出ると石油タンクや化学工場の煙突など川崎の浮島に行く道のように、割合殺風景な雰囲気のところを通って行く。そして大体川崎人工島の位置くらいのところにヴェネチアが浮かんでいる。
 
走っているバスから撮った工場群なのだが煙突がみえるだけ

 今回の旅でははじめヴェネチアに寄るつもりはなかった。テレビなどで何度も見ているヴェネチアに今更行ってもしょうがないでしょ、とへそ曲がり根性でパスしようとしたのである。しかし帰りはヴェネチア空港からパリ経由のエールフランスで帰るため、飛行場の近くに宿を取る必要があった。しからばシエナでもそうだったが、ヴェネチアも一度は見ておいてもいいんじゃないか。大体テレビに映るヴェネチアは運河や水路からみた景色が多く、じつは街中の道がどうなっているのか意外と紹介されていない。
 そこでバスを降りて、徒歩で行けるところまで行こうと動き回った。幾つかの写真を見ていただくと分かるが、イタリア各地の歴史地区とそんなに変わらない街並みが形成されている。ただ、気づいたのは非常に画一的なまちづくりで、通りごとの個性を出すというところにはいっていない。したがって、ずーっと歩いているとだんだん単調になってくるのだ。その理由は、道に敷かれた石の色はモノトーンが多く、しかも比較的大きな石が同じようなパターンで並べられているからではないだろうか。建物はそこそこ違いもあるが、運河越しに見る建物と道から見るのでは華やかさが違う感じがする。ここの建物は水辺から見られることを第一に考えて設計されている。道の側はどちらかというとおざなりな感じである。でも歩行者しかいない道は静かだし、安心だし、クルマがいない街並みもいいなと思いました。
 
道路幅は広い。直線の道が多い


悪くはないですよね

これも道幅広く整然としている

 帰りはサンマルコ寺院からヴァボレット(乗合船)でS字型のカナルグランデを通ってローマ広場に戻った。運河をゆっくりと走りながら回りの景色を眺めていると、華やかなりしころのヴェネチア公国の一端を眺められて、やはりヴェネチアは船から見るのが一番だと改めて感じた。ヴェネチアに行かれた方は多いと思いますが、当方初ヴェネチアなのでややピントがずれているかもしれません。お許しください。
 
リアルト端をくぐるところ
物資の輸送は船が主体です

運河に沿った建物のファサードが美しい

<ホンイチの街並み>
ヴェネチアのサンマルコ寺院の前の広場。広場も建物もスケールが大きいが、仰々しくないのが素晴らしい。
ここにもポルティコがありました

<本日のホテル>
メストレ「Hotel Trieste」☆☆☆
メストレの駅から50メートルくらいのところにある交通の便がいいホテル。ここに二泊します。二泊で125ユーロ。
 
駅から見たホテル。山吹色の丈の低いビル






2013年6月18日火曜日

南欧自転車ぶらり旅  第二十九日


トリエステ三日目。
 二日間街中を走っているので、大体様子がつかめてきた。ホテルの近くの辺りが、まだ走っていないので、まずその辺りをゆっくりと見て回る。
 そんなに歴史のある住宅街ということではないが、大きな戸建てもあり、結構な高級数宅地とみました。ただ、街並みという観点からいうと、まだこれから頑張らないとというところが多い。
まだ街並みとはいえない。珍しく電柱が立っていた
壁と建物の細いすきまを抜けると視界が開ける

下り坂の先は海である

 収穫がないので、トリエステに隣接した街を見てみようと、海に沿って走る。途中から交通標識にイタリア語とは別の地名が出てくる。スロベニアの国境が近いのだが、いけるだけ行って見ようと今度は北に針路をかえる。ゆるやかな登りが続く、道の左手に突如高密度の住宅団地らしきが見えてくる。
丘の中腹に張り付いた高密度の団地

誰が何のためにこういうものを作ったのかは分からないのですが、これだけの集積度にする必要があったのかどうかも含めて、謎が多いが、現地には行かずひたすら坂を上ります。
トンネル右上の標識の上の二つの地名はスロベニアのものです

 延々と登りが続き、うんざりしたので止まって、「標高ワカール」で調べてみたら、250メートルを超えています。いつのまにかかなり登っていたのです。でも、まだまだ登りが続きます。急にモチベーションが下がり、Uターンしてトリエステに帰ることにしました。

 そしてトリエステの街に戻り、サバが最後に住んだ住宅を探すことにしました。
1919から1957まで38年間、妻と住んでいた
この建物の4階に住んでいた

少し坂を上り始めたあたりで、交通量も多く、緑はない。住環境としていいとはいえないが、街中に出かけて行くには便利でいい場所かもしれない。サバが「どこにも活気に満ちた、ぼくの街だが、悩みばかりで、内気なぼくの人生にも、小さな、ぼくにぴったりな一隅が、ある。」と詠んだのがここだったのだろうか。
 そして石垣で街が終わる坂の上を求めて、サバの家から登っていけそうな道を選んで行って見る。石垣はあったが、街は終わらなかった。

<ホンイチの街並み>
トリエステ 坂の上のトラットリアのテラス席から見たトリエステの街の風景です。街並みではありません。ごめんなさい。

サンジュストの丘の方を見ています
<本日のホテル>
トリエステ 「Hotel San Giusto」☆☆☆
昨日に続きもう1泊します。












 



2013年6月17日月曜日

南欧自転車ぶらり旅  第二十八日

トリエステ二日目。
ホテルを変更するため、10時過ぎに新しいホテルに向かって出発。といっても、市内の移動だけであるから、1時間もかからない。バッグパックを背負ったまま、取りあえず、ジェイムズジョイスホテルをめざす。このホテルに変更するわけではないが、自分が日本で下調べをしているときに記した「このホテルの面する路地がいい」というメモが気になってその確認をしてみたかったのだ。恐らくグーグルのストリートビューで見たのではないかと思うが、行って見ると確かにちゃんとした街並みがあった。
ホテルの看板。下の写真の道幅なので建物の写真は撮れませんでした

極限に近い道幅だがちゃんとした街並みになっている


この写真ほど暗い感じはしなかった

 どうしてこの一角だけ街並みが出来ているのか、昨日の調査ではこういう街並みはないように思えるくらい街並みにこだわりがない感じがしたのだが。その理由と思われる事実
がこの街並みを抜けて急な坂を上っていった先にありました。
説明を追加

トリエステの守護神サンジュストの名を冠した城と教会に続く道だったのです。

 そして新しいホテルもホテルサンジュストです。このホテルは須賀敦子が60歳を過ぎてから初めて訪れたトリエステで宿泊したホテルです。彼女の亡くなった夫の出身地がトリエステで、よく二人の間でサバの話が出ていたし、結婚式を挙げたウディーネからも近いのに、実は日本に戻って二十年近く経ってからやっと訪れることが出来たのです。その辺の事情は彼女の「トリエステの坂道」を読んでいただけばと思います。
 
 そして早めのチェックインにも気持ちよく対応してくれたレセプションのお姉さんのおかげで、素晴らしい色彩のコーティネーションの部屋に入って、背中の荷物を置いて、改めて、今日のテーマ「坂道を登ってみる」に挑戦です。歩きでは距離的に無理があるのでチャリユキと一緒です。
 
 サバの詩では、「まず雑踏があり、やがてひっそりして、低い石垣で終る。その片すみに、ひとり腰を下ろす。石垣の終わるところで、街も終る」とあるが、選んだ道が悪かったのか、行けども行けども坂道で、確かに最初は雑踏があったが、あとは住宅がずーっと続いている。100メートルくらい登ったところでトリエステが終わる。この先はスロベニアかベネチア方面の高速道路の標識。人口はサバの時代の方がむしろ多かったのだが、山の方への住宅のスプロール化が進んで、石垣が壊されて住宅が建ってしまったということかしら。それとも詩の場面の坂が別にあるのか。確かBS朝日で放映された「トリエステの坂道」というドキュメントではそれらしい石垣が映っていたような気もする。
 
 トリエステで確認したかったことに、何故ジェイムズ・ジョイスはノラという女性とともにトリエステに来て、15年間もこの街に居続けたのかである。他の都市にないこの都市の居心地のよさを感じさせる何があったのか。それは今も残っているのか。とりあえず手がかりが得られればということで、ジョイスがトリエステにいたときに暮らしていた住所が分かっているので、それを探してみた。
 はじめに住んだのは運河のそばで広場に面した結構立派なビルの3階。ただ建物を見ると2階の階高が高く立派に見えるが、3階は少し見劣りがする。家賃は高そうだが一月しか住まないで、すぐに運河より目抜き通りに近いところに移る。ここに1年弱住み、中央駅に近いところに引っ越すがここは5ヶ月ほどしかいない。この場所はちょっと場末的な雰囲気で住宅地としては今ひとつ。そのあと、目抜き通りに近いところへ戻りそこに8ヶ月住んだ。そのあと目抜き通りから遠くないところで、約2年を過ごす。
ジョイスが住んだ建物にプレートがついている


上のプレートがついていた建物


 その後繁華街から少しずつ離れていき、坂を上り始める。1912年9月から1915年6月まですんだところは騒音も大きいし住宅として住むにはふさわしくないようなところでもあるが、ここが一番長く住んでいた場所かも知れない。ジョイスはこういうところで「ユリシーズ」の構想を練っていたのだろうか。
 すくなくとも住んでいたところを見ても、決してトリエステでなければということはないだろう。やはりトリエステがおかれていた時代状況が彼をトリエステに居続けさせた最大の理由ではないか。つまりジョイスがトリエステにいた時期はイタリアのトリエステでなかったのである。当時のトリエステはオーストリー・ハンガリー帝国の支配下にあった。海に面していなかったオーストリアからすれば、トリエステは世界とつながる希望の港町であった。また当時のトリエステは世界中から多くの人が集まる国際都市でもあり、またユダヤ人にも寛大であったことも居心地に寄与しているであろう。
 実際ジョイスは1906年に銀行に勤めるためローマに行くが、一年足らずでトリエステに戻る。また第一次大戦後チューリッヒからトリエステに戻るが、街の様変わりなどでなじめず戻ってしまう。といって、ジョイスはイタリア嫌いでもなく友人と議論するときにはイタリア擁護の論陣を張ったという。

<ホンイチの街並み>
トリエステのジェイムズジョイスホテルのある路地の街並みです。
同じところの別ショットです

<本日のホテル>
トリエステ「Hotel San  Giusto」☆☆☆
63ユーロで2泊します



 

2013年6月16日日曜日

南欧自転車ぶらり旅  第二十七日

今日はついに、ついにトリエステに入る日です。
 ウディーネを8時45分頃出発し、ウディーネ駅へ。9時34分発のリジョナーレに乗ってMonfalconeまで行き、そこからトリエステまで28キロを自転車で走ります。
 電車では車掌が検札に来て、「あのな、自転車をそのまま乗せると3.5ユーロ(24時間有効)払って貰わなきゃならないんだよね。でも次回からそうするとして今日のところはいいよ」と(恐らく)言ってました。払うのはかまわないけど、自動販売機では自転車の持ち込み料金を払えないような気がする。窓口に並べば可能だが、この窓口が大体長蛇の列なのだ。だから車内で徴収して貰う方がいいのだが、そんなことをイタリア語で説明するのは無理。
 Monfalconeまで約50分。ここで降りて街中を走っているとき、かわいらしい看板を見つけました。これ何の看板か分かりますか。これは通学路か文教地区の目印だと思います、でも男の子と女の子が巨大な鉛筆を脇に抱えて歩いているユーモラスな標識です。

しばらく走るとついに見えましたアドリア海です。
湖のような水の色
旅の前半で見た海とはちょっと違う?

 海岸線を走る道路は幹線道路ですが、岩をくりぬいただけのかなりワイルドなトンネルがあったりします。


 そして海岸に接した場所には駐車場だけでなく、道路の両側もクルマで一杯です。そして水着で甲羅干しをする人や泳いでいる人もいます。
ここからトリエステの標識ですが、道路の両側は駐車中のクルマの列です

海辺に水着姿の男女がびっしりという光景ではありませんが結構な人出です

一人海の中を悠々と泳いでいる人がいます

トリエステのホテルに到着したのは12時少し前でした。トリエステには3日滞在する予定です。取りあえずの一日目は、ホテルにバックパックを置いて、街に出ました。
 
 まずは、ウンデルト・サバの「トリエステ」という詩を須賀敦子の訳でどうぞ。

街を、端から端まで、通り抜けた。
それから坂をのぼった。
まず雑踏があり、やがてひっそりして、
低い石垣で終る。
その片すみに、ひとり
腰を下ろす。石垣の終わるところで、
街も終るようだ。

トリエステには、棘のある
美しさがある。たとえば、
酸っぱい、がつがつした少年みたいな、
蒼い目の、花束を贈るには
大きすぎる手の少年、
嫉妬のある
愛みたいな。

この坂道からは、すべての教会が、街路が、
見える。ある道は人が込み合う浜辺につづき、
丘の道もある。もうそこで終りの、石ころだらけの
てっぺんに、家が一軒、しがみついている。
そのまわりの
すべてに、ふしぎな風が吹き荒れる、
ふるさとの風だ。

どこにも活気に満ちた、ぼくの街だが、
悩みばかりで、内気なぼくの人生にも、
小さな、ぼくにぴったりな一隅が、ある。

 トリエステで生まれ育ったサバは、父親が幼い頃に行方不明になり、ユダヤ系の母親に育てられる。十分な教育も受けられなかったが、古書店を経営したりしながら詩を書いていた。認められるようになったのは戦後のことである。ジェイムズ・ジョイスがトリエステにいた時代と重なるが、二人に親交があったかどうかはわからない。

 今日はこの詩の冒頭にある海岸線に沿ってトリエステの端から端まで走ってみました。本当に立派なビルが建ち並び、往時の殷賑を極めたトリエステを彷彿とさせます。手入れも良く、見事です。
運河沿いの建物群
運河の先端
街並みという観点から見ると、この街は超越しているところがあるかも知れません。立派な街並みになりそうなのに、ちまちまとピンコロを並べたりするよりも、やるべきところは存在感のある大きな天然石を張り巡らせます。
スケール感が違う感じです
客船埠頭への歩道なのに何の細工も無し
昼飯ですけど、街中の料理が売りのカフェで食べました。大変美味しくすべて完食しました。今回の旅行でこれだけ沢山の魚を食べたのは初めてです。
スパゲティ・ボンゴレですが、ムール貝も入ってました

小さな鰯を開きにして、衣をつけて揚げたものです。醤油を忘れて残念

<ホンイチの街並み>
トリエステ 海岸沿いの目抜き通りです、建物のコーニスが通っていて美しい。歩道はこれだけ立派な石を敷いてしまったのですから、文句のつけようがありません。
外での食事も豪華な感じがします

<本日のホテル>
トリエステ「Hotel Roma」☆☆☆
港に近い市街地にある。部屋も悪くない。値段は57ユーロ





2013年6月15日土曜日

南欧自転車ぶらり旅  第二十六日

本日も晴天。今日はトレヴィソからウディーネまで。自転車で行くと約100キロ、電車で行くと1時間半弱。迷いなく電車を選択。
 トレヴィソ駅に行く前に、トレヴィソの街で見残したところを見て歩く。といっても街並みだけではない。トレヴィソにはイタリアの自転車メーカーピナレロの本社工場があるのだが、その直営店が市内の目抜き通りの南端にある。そこをのぞき見した。さすがにイタリア、コンポといってフレーム以外の自転車の構成部品はカンパニョーロが中心。美しいバイクに垂涎。でも高いんだろうな。
店の奥を突き抜けて道を挟んだ反対側にも2店ある

自転車とウェアのコーディネートに関心が高いみたい
高級バイクが段積み


今日の電車は自転車をぶら下げておくスペースのある車両があり、そこにチャリユキを置いて、座席でゆったりと出来た。
 
 トレヴィソまではヴェネト州であったが、ウディーネはフリウーリ=ヴェネツィア・ジュリア州に変わり、トリエステと同じ州になる。ウディーネの人口は約10万人と結構大きい。街の中心に城がある。しかも城のところだけが30メートルくらい高くなっている。香川県の丸亀城のようだが盛り土で築いたのかどうかわからない。しかし見上げる高いところに緑に包まれた城があり、その城への道が素晴らしい。街並みと云えるかどうか分からないが、生け垣と石積みの間の坂道を上がっていくのだが、街がだんだん眼下に広がっていくようになる。
舗石は丸石を埋め込んである
そしてこの道を上りきると別の雰囲気のいい道を下りる。こちらは車の通行も可能な道幅があり片側がポルティコ、反対側が石垣という組み合わせ。道は真ん中が赤っぽい御影のピンコロを放射線状に並べ、両側は丸石の埋め込みである。
舗石は丸石を埋め込んである。塔の上には3人の聖者ではない人が乗っている

ウディーネにはイタリアでも屈指の美しい広場といわれるリベルタ広場があるというが、具体的な場所がよくわからないので、探して歩いていた。そのときたまたま銀行があり、手持ちのユーロを少し増やしておきたいと思って、地元の農業銀行のATMでCitiの自分の口座から金をおろそうとした時に、困った事態に陥ってしまった。最初カードを入れて順調に進んでいたのだが、決まった金額を選んでボタンを押したら、金が出てくるのかと思ったら、イタリア語で表記が出て、カードがちょっとだけ顔を出した。ちょっと引っ張っても出て来ないので、もう一度やり直すのかなと思ったら突然カードが吸い込まれてそれっきりになってしまった。いろいろなボタンを押したが、全く反応しない。要するにこのATMでは使えないカードを戻したが、それを取らないため、一定の時間を経過したところで中にくわえ込んでしまったのだ。銀行の中をのぞいても電気はついているが人の姿はない。仕方なく、ATMの横に書いてある電話番号に電話してみるが、英語での会話も成り立たず全く要領を得ない。今日は金曜日なので、このまま銀行が開かないと月曜日まで待たないといけないのか、と不安になる。そこへATMで金を下ろそうとしにきた学生らしきに、カードが吸い込まれて困っていると言ったら、銀行に誰かいないか見てくると言って、30メートルほど先まで言って、そして戻ってきて大丈夫誰か人が来てくれるみたいなことを言って去った。誰か来てくれるのかと思い、ずっと待っても来ない。そのとき、ひょっとしてこちらの会社は昼休みが長くて家に帰って家族と一緒に食事してこれるくらい長いかも知れないので、3時頃になれば再開するかも知れないと希望をつないだ。そしてカーテンの隙間から男性がPCを操作している姿が見えたので、ガラスをたたいて彼にジェスチャーでカードがATMの中に入ったままだと伝えた(伝わった?)。彼は回ってこいみたいなことを言うので、行って見ると銀行の入口はすごいセキュリティで入れない。又戻って、入れないと合図したら待ってろ、人を迎えにやるから、ということで女子行員が出てきて、その後について銀行の中に入れた。なんか書類を用意してサインしろと言う。パスポートを出す。彼女は堅そうな上司と相談している。そして彼女が吸い込まれたカードを持ってきて、渡してくれる。これにて一件落着、やれやれである。
 よかった、よかったとほっとして、リベルタ広場を探しにかかる。しかしどうもそれらしいものが見つからないので、ミシュランの地図で検索をかけ、地図を頼りにたどっていくと、なんと先ほどの銀行のあるところに出てしまった。
ここがリベルタ広場
上の写真とは逆の方向から撮ったもの
ウディーネは普通の街並みが結構良くできている。それらを紹介したい。
全面玉石埋め込み型の道
たいした通りではないが壁の色の微妙な変化がいい





今日の昼はトラットリアの定食(3品で10ユーロ)を頼んでみました。結構美味しくて満足しました。
エビや魚の身が入ったスパゲティ
薄切りの豚肉をちょっと茹でて香草の上に載せチーズを振りかけたメイン
サラダ。自分でオリーブ油とバルサミコ酢、塩で味付けします

あと、今日もジェラートを食べました。今日は二段積みでリモーネとバニラです。
値段は2.5ユーロ
<ホンイチの街並み>
ウディーネの城への街並みです。本文中のものとあわせてご覧ください
珍しく糸杉が見えました

<本日のホテル>
ウディーネ「B&B Hotel Udine」☆☆☆
ペントハウスの部屋でした。49ユーロ