2013年5月31日金曜日

南欧自転車ぶらり旅 第十一日

 二日間も僥倖が続き、雨模様が出発前に劇的に晴天に変わり、恙なく、新しい街に自転車で辿り着くことが出来ました。でも、さすがに三日は続かない。今日は前二日間と真逆の展開でした。つまり朝起きて、ガラリ扉を開けると白い雲は出ているが青空がみえて、お日様が照っている。昨晩深夜の天気予報では、トスカーナの辺りは完全な雨マークだったので、ひょっとすると三日連続なんて思っちゃった。ただ今日はシエナをめざすが、シエナのホテルは11時からチェックインできるので、早めに行く分には問題ない。シエナに行くにはは300メートルの登りが待っている。もういくら登っても坂道は好きになれない。だから、晴れててもグラナイオという駅からシエナまでは鉄道利用で行くと決めている。
 朝飯を食べて、撤収準備をしている頃には、窓から庭を見ると並べてある鉄製のテーブルが光っている。昨日イメージしたレインウェアのフードをかぶり上からメットをかぶれば頭が濡れないじゃないかというひらめきも今日は試せる。
 ということで、結構居心地のよかったホテルを出発する頃には、本降りになっていた。冷たい雨が間断なくあたるが、中まで濡れることはあるまいとグラナイオ駅をめざす。
最初かなり登りが続くが2メートルくらい先を見て、イチニ、イチニと号令をかけながら上がる。地図で見るとホテルから駅までは3キロ位の距離だが、実際には5キロくらいに感じた。最後は下りであったが、雨の日の下りは下り坂最高!なんて走ったら大変なことになるので、慎重にブレーキをかけながらゆっくりと下りる。体は寒くはないが、指切りグローブから出ている指先や雨を若干通してしまうPEAKの自転車用パンツのため足が冷たい、さらにびっくりしたのは吐く息が白くなるのだ。10度以下5度とか6度くらいかもしれない。
 でも距離はたいしたことないので、グラナイオ駅についても余裕はあった。9時22分発に乗る予定であるが、駅には駅員も客も誰もいない。リージョナルの列車でも、全部は止まらないし、9時を逃すと次は12時22分までないのだ。時刻表で確認すると9時の列車は自転車マークもついている。3,40分待つしかない。
誰もいないグラナイオ駅
ホームに水たまりが出来ている

10分遅れで到着した2両編成のディーゼル列車が乗り込むと、自転車の置き場がないのだ。ドアの幅が狭いので、ドアにもたせかけるようにはおけないので、車両の幅の半分位を占領してしまう。そのため客室に出入りするドアを半分ふさぐため、自転車のそばにいないとまずいのだ。しかも車掌がすぐにやってきて切符を見せろと言う、ないというとスマホを出してそこで駅名やらなにやら入力して10ユーロ払えと言う、こちらは事前のイタリア国鉄のHPで5.7ユーロであることを調べてあるが、とても言い出せない。大体車内精算だって精算書みたいなものを出すのが普通だと思うが、こちらが出した20ユーロに対して自分のポケットからしわしわの10ユーロのおつりをくれる。この車掌その後もう一度来て、自転車の料金が3ユーロちょっとかかるんだよねとこちらのしわしわの5ユーロ紙幣をかっさらって、おつりの小銭をおいて上機嫌で消えた。

 シエナまでは40分くらいで着く。シエナのふた駅前くらいから、乗ってても勾配が分かる登りに入る。この列車ものすごいトルクがあるのかも知れない。iPhoneのアプリ「標高ワカール」でみていると1秒間に1メートルくらいの勢いで登っていることが分かる。 
 シエナ駅はホームが6番線くらいまである大きな駅だが、やはり雨が降っている。そこからホテルまで約3キロ、更に登りが続く。そして旧市内に入ると墓石ほどの大きさの石が斜めにならべられた石畳、通るところがすべてホンイチの街並みという感じ。ホテルにチェックインしてしばらく部屋にいたら、表に日が差しだしたので、カメラを持って街に飛び出す。その話しはこのあとすぐ。

<ホンイチの街並み>
 はじめシエナは訪問都市に入っていなかった。あまりに有名だし、観光客だらけであることがわかりきっているので、何となくパスしようと思っていた。ところが出発のひと月位前に池上俊一の「シエナー夢見るゴシック都市」(中公新書)を読んで、行かねばなるまいと思ったのである。著者の池上氏はシエナに入れ込んでいて毎年のように訪れて、古い文献を資料館に行って閲覧している。でもそれが自分がシエナに行く動機にはならない。九人執政官時代にシエナの街は概成するが、それから今日まで市民とシエナの街の関係はずーっと一貫している、強欲なフィレンツェからの様々な干渉にも治世者と市民が一体となって対応してきた。だからシエナは街そのものも昔のものを手入れはするにしても使い続けてきたし、カンポ広場で毎年2回行われるパリオというコントラーダ(地区)対抗の競馬など祭りや伝統行事を守ってきた。そのシエナの街並みが悪いはずがないではないか。ということでこれから3枚街並み写真をご覧に入れます。誰が撮ってもちゃんと撮れます。どこを撮ってもそれなりに見栄えがする写真が撮れます。だけどこれが行政の細やかな規制と住民の街を守る気概のおかげで成り立っていることを忘れないでください。
シエナの普通の街並み
雨水を道路中心で排水している
坂が多いが、遠くにトスカーナの緑が見える

<本日のホテル>
 シエナ「Hotel Antica Torre」☆☆☆
 旧市内の西の端にある。カンポ広場まで歩いて10分。72ユーロ
一応ダブルベッド
ベッドに寝ると見える天井、木骨造の天井

   

 

2013年5月29日水曜日

南欧自転車ぶらり旅 第十日

 5月29日朝、5時頃に目が覚める。外が雨音で騒がしい感じがする、
 今日こそ本格的な雨か。起きてガラリ扉を開いて外を見ると確かに雨が降っている。
 すぐ雨対策に考えが進む。エンポリにホテルを確保してあるので、ルッカからピサ経由でエンポリまで鉄道を使うしかないか。駅までは自転車で行くのでレインウェアとバックパックカバーは必須。レインウェアのフードをかぶってからメットをつければ頭が濡れない?しかし、ベッドの中でテンションは下がり続ける。日本では梅雨入りも始まっているらしいが、こちらはどうなのかと準備編2の懸念していることで書いたが、この国でも一週間位連続して雨が降ると言うことは起こりうるのか。夕べ見たルッカの天気予報はほぼ1週間傘マークがついていた。
 腹をくくりもう一寝入り。7時数分前に目が覚めると外が鳥の鳴き声で騒がしく5時頃とは様子が違う。まさかと思って扉を開けると、雨が上がっている。昨日、今日と連続して出発直前に雨が上がったのである。

 早めに出て、行けるところまで行き、途中で降られたらその近くの駅に待避し、鉄道の世話になる。こんなシナリオで8時45分頃ルッカのホテルを出発。このころには日もでていた。今日のコースでは上り坂はせいぜい30メートル程度で比較的楽なコースである。地図上では近道だけどのぼりがある場合には迂回した方が楽なこともある。そんなことがわかるiPhoneのアプリ「Topoprofiler」である。これはいずれ詳しく触れたい。今回も世話になって楽ちんな道を選択できました。
こんな道です。曲がりが多く変化に富んでいるのが取り柄です
トスカーナの景色とはいかないけど長閑な田園風景

ルッカからPontedelaまではひたすら南下する。車が多いし、道路の端は舗装が痛んでいるところが多いので気が抜けない。特に印象に残る景色もなく郊外を走っている感じで田舎道でもない。トスカーナ的な風情も感じられない。
 Pontedelaからエンポリまでも同じような感じの道で、とりたてて注目するような見物はありませんでした。
 ただ、途中で脇道にそれてモントポリに寄りました。これは一度見ときたい町としてあたためてきたもので、今日タイミングよく見られてよかったです。ホンイチの街並みで触れます。
 淡々と先に進んでエンポリに到着したのが12時過ぎでした。ここのピザ屋でひとかけらのピザとコーラで昼飯。昨日の夜もルッカでピザを持ち帰ってホテルでビールと一緒に食べましたが、どちらもその店の味を出しており、ピザの奥深さを感じさせられました。

<ホンイチの街並み>
モントポリは空から見た写真を見ていただけば分かりますが、尾根線に沿って街が形成されています。下から見上げると横に建物がつながっているようにみえます。ところが街の中に入るとここが尾根線に沿っていることなど全く分かりませんが、塔のあるところなどから下界を見るとここが高いところにあることが分かります。ここへ来るまで、他の土地と隔絶したところという印象がありましたが、この街並みの手前にも住宅地が展開されており、住んでいる人も車でスーパーまで買い物に行ってきて、道沿いに車を止めて荷物を家の中に運び込むなど普通の人たちが生活してる生きた街だったのです。
 道路はアスファルトで舗装しただけですが、建物は看板などを抑えて、並びに対する配慮をしているところが心地いい。確実にコミュニティが出来ていることが分かります。観光に訪れる人もいるのでレストランやホテルなども整備されています。
空から見たモントポリ
遠くの建物が尾根線のモントポリ
街中に入ると建物主体に街並みを形成している


<本日のホテル>
エンポリ「Borgo San Giusto」
エンポリの郊外の高台にトスカーナの景色を楽しみながら自然とふれあえるアグロツーリズムを意識したホテル。食事は中のレストランで地元産の食材やワインを味わえる。60ユーロ(夕食は別)




南欧自転車ぶらり旅 第九日

 Massaの朝、雲が低く垂れ込め、高さ300メートル程度の山も中腹まで雲がかかっている。道を通る人で傘をさしている人もいる。さしていないひともいる。雨は降っているのかも知れない。テレビの天気予報は説明は分からないが、イタリア各地の天気がマークで表示されているのでそれで推測するしかない。この辺りのお天気マークは、雲があって左上にお日様が少し出ていて、雲の下からは雨滴がしたたっている。日もでるが、雨も降る、だけど大体は曇り?午後の方が雨確率が高いかも。
 今日のプランを考える。ルッカのホテルに予約を入れているので、最終的にはルッカに到達したい。できればピサによってかの有名な斜塔の生を目にしたい。だけど雨、雨の中65キロも走るのはどうみてもしんどい。やはり鉄道で行くしかないか?
 Massaからルッカまで途中ビアレッジオで乗り換えて約1時間半。

 Massa駅をめざす。そういえば列車まで時間があるのでMassaの町も見ておこう。中心市街地はホテルのある海から駅よりも更に山寄りにある。といっても登りがあるわけでなく、雨は小雨程度だが、レインウェア着用には及ばないだろうと思って走った。あまりはっきりとした特徴がある街並みはない。ただこの辺はイタリアでも有数の大理石の産地らしい。大理石を扱う工場がある。
 
おや歩道のボーダーが大理石ではないですか。さすが産地、贅沢ですね。でもつるつるの面が悲劇を引き起こしたのかどうか分かりませんが、中心地区では折角の大理石なのに滑り止めの目地を入れてるところもありました。
雲が低い。雨は不可避?
大理石の加工場
白いのが大理石


中心地区では大理石を滑らないようにざらざらにしている

 Massa駅の窓口は珍しく7,8人も並んでいるので、自動販売機に挑戦してみました。これが意外なことに窓口よりも遙かに簡単でした。英国旗を押すと、表記が英語に変わります。あとは駅名を入力すると直近の列車の時間が表示されます。そして精算はキャッシュでもカードでもOKで、確定すると立派な切符が印刷されて出てきます。早い簡単、これからは自販機で切符は買います。

 駅で列車を待っているときに前輪タイヤに空気を入れました。この空気入れは渋谷のY’sバイスクルで買ったものですが、重さがたった39グラムしかありません。大抵の携帯ポンプ100グラム以上はあります。それだけなら特別取り上げるほどでないかも知れないのですが、実は空気を入れるときのフィーリングがとってもいいのです。軽いピストン運動で空気は小気味よくはいります。最後の数回は多少抵抗を感じますがそれでも軽い方です。ドイツの会社の製品ですが、今はもうこのタイプは製品カタログに出ていません。

 こちらが待っている列車の時間は11時12分発でした。11時前にイタリア語だけでなく英語でも女性のアナウンスで10分遅れるみたいなことを言ってるのです。時間通りに来なければ更に待てばいいんだと思っておりました。そうしたら11時ちょっと過ぎに列車が入ってきました。さっきのアナウンスは10分遅れるのではなくて、10分早着するということなの。それでは時間通りに来た人は乗り遅れるのかと呆れました。でも乗る人にピサに行くのかと聞いてみたら、その通りだというのでチャリユキを抱えて乗り込みました。
 駅で列車を待っている時には、小雨が降っていたのですが列車が南下するに従って空が明るくなってきます。それに走っている列車から外を見ても、地面や道路が濡れていないのです。乗換駅のビアレッジョで降りました。ルッカ行きには時間があるので、町の中を走り回ってみましたが、ほとんど印象に残らない町でした。この天気ならチャリユキに出番を作れるのではないかとプランの変更を考えました。ビアレッジョからルッカに向かうのと、ピサまで行ってピサの町を見てからルッカに向かう。ピサで降られたらピサから列車でルッカに向かえばいい。

  ビアレッジョからピサをめざします。ずーっと地中海に沿って走ってきたSS1がここでは高速道路のような仕様になっていて、車は100キロぐらいで走ってます。こちらは端の方を走っているのですが、どうも気分がよくないので出口を探して出ました。
SS1だけど片側二車線の高速道路

 ピサまでは一直線の道で、走っていても単調な感じがします。12時過ぎにピサの市内に到着し、取りあえず斜塔でしょ、と世界遺産をめざします。市内に入っていつの間にかドゥオーモのアーチが見えてきて、その奥に傾いているのが見えます。思ったよりもずっと白い。この白さは大理石のせいではないかと思うが、この白さは何百年も維持できるものなのか。敷地の中は世界中からの観光客とその懐を狙う土産屋の列。この斜塔が真っ直ぐ建っていたら、この喧噪はなかったかも知れない。またこの角度で傾いても倒れなかったのはどうしてなのか。倒れる方がずっと自然だと思うのだが。
アーチを通してみる、傾いているのが目立つ
写ってないけど、写真右手に土産物屋がずらり

つまらんことを考えるのはやめて、ドゥオーモの南側にピサ大学医学部と病院が巨大な敷地を占めているのだが、その周りをひとまわり。そのとおりでどうってことなし。しからばメシか。魚スープが7ユーロという黒板を見て、屋外カフェに座る。スープは二人前から注文を受けるという二人前一人で食べると14ユーロですと紙に書いてくれる。ずっとスープが飲みたかったので注文。モノが来るまでサンドウィッチとコーラでつなぐ。出てきたスープは直径25センチくらいのボールに入っている。すごい具だくさんなんだなと思ってよく見ると、パンを薄切りしたのが入っていて、これがスープを吸ってしまうため、折角のスープはちょっとしかない。でも白身の魚、ムール貝、ホタルイカの倍くらいのイカ、エビなどどれも悪くはない。パンまでは食べきれなかったが、本日のメイン料理を食したという感じです。
病院入り口
魚のスープなのに汁がない

 ピサに来る観光客は斜塔を見たあとはどうするのでしょうか。この街は大学があるためか若者が多い。しかし大学観光をするわけにはいかないでしょう。
 腹が一杯になったので、こちらはルッカをめざします。天気も大丈夫のようなので、ミシュラン地図の指示に従って、坂の少ないコースを選んで進みます。相変わらずちょっと回り道して未舗装の道を案内してくれたりします。

 ルッカまで田舎道を走るが、車も少ないしアップダウンも少なくて楽ちんでした。ルッカ到着は15時頃。街並みを見るが特別印象には残らない。
川のそばの未舗装路

ルッカの入口

<ホンイチの街並み>
 ピサからルッカに向かう町のはずれに立派な戸建てが並んだ住宅街がありました。松の並木と戸建ての大邸宅の並びはややステレオタイプではあります。
この写真では家が見えない

<本日のホテル>
 Lucca 「Hotel Stipino」☆☆
 受付で貫禄のある主人が、自転車はあそこにおいて、パスポートを出して、後ついてきてと部屋まで案内してくれた。45ユーロ。





2013年5月28日火曜日

南欧自転車ぶらり旅 第八日

 今日(5月27日)は、ジェノバからReccoまで約20キロを自力走行、ReccoからLa Spezia経由でMassa centralまで鉄道利用約95キロ、Massa central駅からホテルまでチャリユキで約4キロ。9時過ぎにジェノバを出発しmassaのホテル到着は15時15分頃。
 ジェノバの天候は晴れているが雲が多い。海は波高2〜3メートル、風は向かい風。

SS1から海を見ているので、左手に進むので旗の動きから向かい風であることがわかる

 地元の人たちの格好を見ていただくとわかるが、夏姿にはほど遠い。


 今日のコースは有名なポルトフィーノやチンクエテッレなどの世界遺産に指定されている景勝地であるが、出口が見えそうもないトンネルが何本か有り、かわりの道も見つからない場所のため、当初から鉄道利用を予定していたところである。
 Reccoで乗り込んだときにはがらがらであったが、その後の停車駅で人が増え、それがキアバリ駅でほとんど全員降りたのではないかというほど減った。ところがそれからも降り乗りは各駅で頻繁に行われ、ついに座席に座りきれず立つ人も出てくる。駅のホームにも人が多い。

 ついには反対側のホームから人が溢れんばかりに並んでいる。
ホームの半分がトンネルのリオマッジョーレ駅

 彼らの多くは団体客だと思われるが、ともかく鉄道を使ってチンクエテッレを見ようという人たちではないかと推測される。その後、La Speziaまではがらがらと極端でした。
 La Speziaでは、次の列車に乗り継ぐのに時間があったので、軽い昼食を取り、街並み探訪を行いました。ホンイチの街並みで触れます。
 La SpeziaからMassa Centralまでは30分くらい。この駅は海岸から離れており、冒頭に書いたように4キロくらい乗って本日のホテルに到着という次第です。

<ホンイチの街並み>
 La Speziaはさして大きな街ではないが、軍港とともに発展した。近年はチックエテッレ訪問の拠点として有名。

  駅から広がる中心市街地は1階が業務商業で2階以上が住宅というスタイルであるが、これはLa Speziaに限らずイタリアでは月並みな使い方である。ここの特徴としては住宅のバルコニーの張り出しがランダムであること、つまりどの家にもバルコニーがあるわけでなく、またフランスのカーニェシュルメールで見たような横連続のバルコニーでもない。視覚的なリズムを乱すことによって更に注目され、しかも各住戸のバルコニーは見られることを意識して鉢植えを置いたりして飾っている。道路には何の仕掛けもない。これで道路をいじるとより華やかさが増すのだが。

<本日のホテル>
 マリーナ・ディ・マッサ 「Hotel Eura」☆☆☆
海に近いので、バカンス客が目当てだと思うが、まだその季節ではないので客は少ない。だからかどうか、値段は40ユーロ。ベッドは大きいし、設備も不足はない。




 
 

2013年5月27日月曜日

南欧自転車ぶらり旅 第七日

本日(5月26日)は水平線上に雲が低く湧いているくらいで、見事な地中海晴れ。

午前九時過ぎにスポトルノのホテルを出発。今日は雨は無しとして、ジェノバまで60キロ余をチャリユキとともに行くつもり。海岸線に沿ったSS1を使うのだが、もっと海側に別な道路があるとそちらに行くこともある。自転車専用道はあるが距離は10キロはない。今日はともかくレーパン、ジャージにヘルメットでかためたローディの姿がやたら目に入る。チームタイムトライアルみたいに団体で駆け抜けていく連中もいる。なるほど、今日は日曜日なのでクラブとか仲間でひとっ走りすっか、という乗りで来る連中である。
颯爽と走るローディたち

 この人たちは大体平均年齢が45前後か。中に60歳をゆうに超えていそうな御仁もいるが、編隊で走ってもちぎれない脚力を持っている。2008年にエタップ・ド・ツールというその年にツールドフランスで本当に走る山岳コースの一番過酷ステージを、本番の1週間前に走らせようというレースに、無謀にも参加した街並みハンターはフランスとスペインの国境に近いピレネーまで出かけていって、最初の峠道を越え、これから二つ目(全部で5つくらいカテゴリーがついた山道がある)というところで制限時間オーバーでバスに収容されるという屈辱を味わったのであるが、年齢別で50代以上でも二桁の順位で走り抜ける猛者がいるのだ。8千人集まる参加者の内、8割以上は完走する。因みに元F1レーサーの片山右京は40歳代で全体の100番台ぐらいで走ったというからアマチュアとしては上出来。それはさておき、ここを走っている人は平らなところで35キロから40キロくらいで走り、上りの坂でも25キロくらいで上がっていく。ほとんどプロのツールの選手のような人たちなのだ。こういう人々とひっきりなしにすれ違うし、こちとらをあっという間に抜いていく。恐ろしい人たちなのだ。おそらくこのうちの半分くらいは今年のエタップドツールにも現れそうである。

 こういう人たちは、放っといて海に目を転じると、おびただしい数のパラソルがあるが、開いているのは少ない(但し午前9時半頃だからかも)。日曜日でも海水浴客でごった返すという状況では無さそうだ。


サボナは人口6万人程度の中都市であるが、鉄鋼業などの産業があり、リゾートばかりではない。

この写真はサボナの街並みである。往時の繁栄を思わせるものだが、これらの建物が何時出来たかはわからない。ただ、1614年か次の15年頃に支倉使節団がローマ法王に面会するためスペインからこの街やジェノバを通って行ったという記録が残っている。支倉常長は伊達政宗の支配下にある召し出し衆という下級武士であるが、支倉家の土地を豊かな土地からやせた土地に替えられたため旧領戻しという元の土地に帰ることが宿願なのである。それを可能にするのがこの遣欧使節の成功なのだというモチベーションで、彼は言葉も分からず、政治的な駆け引きなどの経験もないまま、使節団の代表としてメキシコ経由でスペイン、ローマにまで行っている。
SS1からサボナの街並みを見る
そして今日の目的地ジェノバの遠望である。造船所が見える。街は山側に向かって上がっているのがわかる。

 ジェノバのホテルに到着したのが13時半ぐらい。今旅行初の4つ☆ホテルであるが、フロントで名前を言っても予約がないというそんなはずはないとホテルドットコムから来た日本語のメールを見せると、取りあえず部屋のキーを貰った。結局昨夜予約したとき、25日で予約したため、26日の予約はないということがわかった。昨夜の分はキャンセルが出来ないので、今夜の分は別に払うということで落着した。


<ホンイチの街並み>

これはジェノバの中心から1.5キロ位の傾斜地にある街並みです。この道の作り方がサンレモで見た路地の道の意匠と酷似している。レンガの小口を表面にしき玉石をモルタルに埋め込んでいる。この道は人通りはほとんどない。この左手20メートルくらいのところをケーブルカーが走っていて、この斜面を歩いて登る必然性がないからである。しかも右手は黒くてよく見えないけどコンクリートの擁壁、左の建物にも人気はない。幅員はサンレモの3倍もあるが、同じ意匠を用いても街並みは出来る訳ではないのだという反面教師的な意味でホンイチにしました。


<今日のホテル>
ジェノバ「HOTEL BRISTOL GENOVA]」
昨晩ジェノバのホテルを探していたら安いものはほとんど満室で、空室があっても三つ☆で8000円位する。それなら四つ☆で11000円を奮発しようと予約したら、前日の予約だったため、二日分を払う羽目になりました。でもさすが四つ☆、ミニバーはあるし、洗面所にはアメニティがある(使わないけどね)。
階段室を上から見下ろすと楕円形の重なりが美しい






2013年5月26日日曜日

南欧自転車ぶらり旅 第六日

 サンレモの旧邸宅風ホテルを9時15分頃出発。
 天気は雲が目立つが、お日様は照っている。でも温度は12,3度くらいか。ともかく出発するときから長袖ジャージにベストを着ているのだが、ベストじゃなくて長袖のウィンドーブレーカーでもいいかもしれない。昨日はジロデイタリアのクライマックス、ドロミテ山塊でのレースが降雪のためキャンセルされたとのこと。
 コースはサンレモからリグリア海に沿って、インペリア、ロアーノなどを通ってスポトルノ(Spotorno)まで約90キロ。高低差は最大で120メートルから130メートルとこれまででも一番フラットなコースである。しかもサンレモの街から下の写真のような自転車専用道が続いている。
サンレモから始まる自転車専用道


この専用道は約20キロ続いて終わる。途中にはトンネルも4,5カ所あり、一番長いのは300メートル位はある。トンネル内が照明されており、しかも車は通らないのだから、恐怖感もない。ほぼ平坦で走りやすい道、こんないいことが続くわけがないと思っていたら、上の写真でも雲は多いが、本格的な黒い雲が現れいよいよ雨が来るのか、と思ったのがインペリアの街の手前あたり。雨対策は薄くて軽いレインウェアとバックパックを覆う赤いビニール。ステムについているiPhoneにも上からかぶせる雨用カバーがある。
 雨対策の格好に変身したらぽつぽつと雨滴が落ちてきて、インペリアの街に入ったときにはそこそこの降りである。迷わずイタリア国鉄のインペリア駅をめざす。道路と平行して鉄道が走っているので、ちょっとした町には駅があるのだ。
 窓口で切符を買い、自転車持ち込み料金も払う。しめて10ユーロちょっと。あと4,5分で来るというので、1番線というの聞いてホームへ。すでに列車が止まっているので、自転車を持ち込むが何か様子が変だ、降りて人に聞くとこれはバンティミリア行きだという。昨日通過したのがバンティミリアだから、反対方向の列車に乗り込むところだったのだ。と、相対型の反対ホームに列車が入ってくる。これが乗るべき列車だとこんどは反対側のホームへの移動を開始する。ところが地下通路がわからない、それをやっと抜けて斜面を自転車に乗って漕ぎ上がったところで列車は動き出していた。窓口のおばちゃんは1番線といったと思うが、来たのは2番線。次の列車は2時間後。まあ、別におばちゃんに八つ当たりしてもしょうがない。しかし後で列車内で検札が来たとき、車掌がリグリア地域内では自転車持ち込み料は無料になりましたから、今度から買わなくていいですよ。じゃあ、窓口のおばちゃんは売らなくてもいいじゃないかと知らないはずはないのだから。
インペリア駅で一本乗り損ねた

 1時間20分をかけて13時44分にスポトルノへ到着。到着した頃には雨も首尾よくあがっていた。すぐホテルに行って、チェックインし、腹が空いたのでどこか食べるところを教えてと聞くと、「Red Bull」イタリアレストランを紹介してくれた。もう二時を過ぎていたが店内の5割程度の席が埋まっている。イタリア入国後初のリストランテ、スパゲティ・ボンゴレとクラシックサラダを注文。空腹でもあったが味は満足し、完食してしまった。
スパゲティ・ボンゴレ


<ホンイチの街並み>
 スポトルノのガリバルディ通り。車も入れないほどの幅員であるが、結構手の込んだ舗装が成されている。昨日のサンレモの街並みもそうだが、狭い道でも意匠に凝ると結構ユニークな街並みに展開できるという実例。
 
凝った舗装である
<本日のホテル>
 スポトルノ 「Hotel Mediterranee」☆☆☆
55ユーロ フランスではどのホテルでも朝食は別料金であったが、イタリアでは朝食込みである。Savonaのような大きな都市になるとホテル料金も高くなるが、スポトルノはリーズナブル。

2013年5月25日土曜日

南欧自転車ぶらり旅 第五日

イタリア入国

ジョルジュ・ムスタキが死去したというニュースを昨晩見た時、大分昔だが、自分にも彼に夢中になっていた時期があったことを思い出した。「孤独(Ma Solitude)」という曲が好きだった。ギリシャ系の移民であったムスタキが異国であるフランスでしかもフランス語で歌ったから意味があったのだが、外国にいるということは言葉の壁と食事の壁との戦いだが、それを克服して一家をなすことは本当にすごいことだと思った。哀悼。

 そして、今日はフランスからイタリアに入ることを決めた。Cagnes sur Merからサンレモまで70キロ位だが、モナコとマントンの間に500メートルくらいの高低差があるところがあり、これは無理だからマントンまで鉄道移動して、マントンはフランス最後の町なので国境はチャリユキに乗って越えたいと思って、朝9時頃出発、10時半くらいにマントンに着く。海岸線に降りて海沿いの道を進む。マントンなんて初めて聞く町だけどリゾート地としても一流だと思った。

マントン駅
海岸通りの景観、マンションがかっこいい
海岸通りから望める旧市街、もうイタリア?


 風は何故か向かい風。思い込みかも知れないが、このあたりは南か西から風は吹くものだと思っていたので意外。ドロップハンドルの下をつかんで風の抵抗を少なくして走る。写真からはわからないが、結構風が冷たい。折りたたみ式のウィンドーブレーカーのベストを着る。下は長袖のジャージである。
 ちょっと大きな料金所のような建物が国境です。

駐車場のようでもある。検問なんてない
国境を背景にパシャリ

 こちらの道路はすぐにトンネルに入るため、引き返して一般道の方にもある検問所を抜けて、それからひたすら登り。相変わらず勾配はきつくないのだが、いつ果てるともない上り坂はテンションを下げてしまう。遠くを見ると萎えるので、ひたすら足元を見て1,2,1,2と声は出さないがかけ声をかけて踏んでいく。
一般道の検問所
こちらの道は標高の高いところで180メートル余、その後もっと低い上り下りを繰り返して、イタリアで国境に一番近い町、バンテミリアに入る。ここからは比較的平坦で両側が商店街のような道が延々と続く。不思議なことに看板も標識も何もかもイタリア語になっている(当たり前なんだけど)たたずまいがそんなに変わらないからかもしれないが、これで人々が話しているのがイタリア語だから、やはりイタリアだと思う。

1階が店舗で上が住居、街並みが形成されている


途中で浜辺から海を見たら見事な青のグラデーション、イタリアンリビエラも魅力的である。
微妙なグラデーションが出なくて残念

 そして今日の目的地サンレモには、結構早い時間に着く。時間があったので街並みハンティングへ。この街は目抜き通りの街並みも素晴らしいが、どちらかというと家の中からイスラム系の言葉が聞こえてくるようなちょっとカスバ(但し店屋はほとんどない)のような路地が階段や坂になっている地区が驚くような街並みができあがっているのだ。ここでお見せできる写真はコンデジのものだが、街を作るのにどんなに道が重要であるかがこれをみると実感できるはずだ。(これをもってホンイチの街並みとします)

サンレモの銀座通り、部分的に完成しているところ
これがホンイチの街並み、道が普通の石畳だったら見向きもしないだろう。これが延々と地区全体に繋がり、最近まで整備されてきているようだ

<今日のホテル>
サンレモ「Hotel Villa Maria」☆☆☆
昨夜サンレモのホテルの空室状況を見ていたら、1万円以下の安いホテルが満室の表示が出ていて、金曜日は混むのかなとかそろそろバカンス客が動き出したのかなどと推測してみたが、よくわからない。そんな中で64.4ユーロという値段を提示していたのがこのホテル。金持ちの邸宅をホテルにしたようなもので、その中でシングルルームの部屋はかつての女中部屋かなんかか。部屋でwifiが使えないなど不便も多く昨日の三つ☆とは大違い。
ホテルの入口
この浴槽は不思議。底が二段になっていて足湯か半身浴ができるかも